第三の理/第5話
ドイモイ君の話

 私の所属する学部の 1 つの柱は教員養成である. 特に,大学院レベルでは,現職の先生方の再教育も 1 つの目的となっている. とはいえ,大学以外の学校の現場で子供たちを教えた経験もない人間が, 現職の先生方の再教育をしようというのだから,おこがましい話である. もちろん,数学の専門に関しては,胸を張って教えられる. しかし,そういう指導は私の研究室に所属する学生たちに対してだけである. 現場の先生方を含む他の大学院生たちには, コンピュータを利用した数学教育の在り方 を説いている.

 いずれにせよ, いろいろな種類の人間が 1 つの場所に集まって, お互いにぶつかり合うことは悪いことではない. 私も同類ばかりを集めてワイワイやるのも好きではあるが, やはりそれだけでは物足りないと思っている. だんだん年をとれば,同族の中ではボス扱いされ, 神棚に祭り上げられてしまうだろう. それはそれで自分を満足させる 1 つのあり方だろうが, 変化を放棄し,朽ち果てるのを待つミイラのような存在だとも言えよう. 自分自身の変化を求めたければ,異質な者と接し, ぶつかり合うことを忘れてはなるまい.

 そんな意味もあって,私は留学生に関わるのが大好きである. 自分が指導教官になっている学生に限らず, 自分の身の周りにいる留学生にはすぐに声を掛ける. たまには価値観の違いから留学生を怒らせてしまうこともあるが, 基本的にはお互いの文化的背景の違いを理解し合えば, 仲直りできる. 要するに,私も留学生も同じ人間なのである. そこに立ち戻れば,必ず心のつながりはもてると信じている.

 もちろん,いつもそんな大げさなことを考えながら留学生に接しているわけではない. ただ私の性格がそうさせているのだと解釈するのが最も妥当だろう. そういう今も,教員研修留学生という制度を利用して ベトナムから留学しているドイモイ君を研究室に引っ張り込んで, そこに居合わせた大学院生の田沼君にコーヒーをサービスさせながら, 話をしているところだ.

 彼は,ベトナムでは高校の数学の教員をしているので, 数学にも非常に関心があり, 私の離散数学 を中心に据えた学校数学改造プロジェクト の話をよく聞いてくれた. さらに,彼は日本語はもとより,中国語もわかるらしく, 漢字を媒介にして,かなり深い理念的な話でもついてきてくれるからさすがである. 要するに,頭がよいのである.

  「難しい話ばかりでもなんだから,ドイモイ君の出身地の話でもしてください.」

  「いいですよ.ぼくはもともとは日本で手に入る地図には出ていないような 田舎の村で生まれたのですが, 小学校に入学する時から,ハノイの叔父の家に預けられて, そこで大学まで出してもらったんです.」

  「へー.ハノイかぁ」

 すると,田沼君が驚いたように言った.

  「先生.ハノイってベトナムの地名だったんですか?」

  「当たり前じゃないか! ハノイはベトナムの首都だぞ.」

  「えー.じゃあ,ハノイの塔って,ハノイにあるんでしょうか?」

 そう言われてみれば,そうだった. ハノイの塔 はパズルの名前だと思い込んでいたものだから, 地名のハノイとの関連をあまり意識したことがなかった.

  「まあ,あれはパズルの名前だからねぇ.ハノイにあるわけじゃないんじゃない.」

 それまで難しい教育論をぶっていたので, 学生の入る余地がなかった. それを反省して,田沼君にも話に参加するチャンスを与えることにした.

  「じゃあ,田沼.ドイモイ君に聞いてみたら?」

  「ええー.せ,先生,聞いてください.」

  「こんな簡単なこと,自分で聞けるだろうが.」

  「そ,そんなぁ.」

 よそ様が聞いたらよくわからないノリの会話を交わしたところで, ドイモイ君に最近私の身に起きたハノイの塔にまつわる話をした. すると,ドイモイ君はあるフレーズを聞いたときから, 急に顔色を変え,意外なことを話しだした.

  「先生,ハノイの塔が崩壊したなんて,大変なことですよ.」

  「そんなぁ.パズルの問題だよ.本気にするほどのことじゃないだろう.」

  「いえいえ,先生.これは大変なことなんです. 私もハノイの塔が本当にハノイにあるとは思っていませんが, 私たちの国ベトナムに古くから伝わる言い伝えがあって, それによると,ハノイの塔の崩壊は大変なことを意味しているのです.」

  「ええー!」

 田沼君は思わず声を上げ,仰け反って驚いた. そして,黒縁眼鏡の奥の大きな二重の目をぱちくりさせていた. 私の表情は自分ではわからなかったが, 何かとんでもない秘話が聞けるのではと, 興味津々だった.

 いったい,ハノイ氏のメッセージとどういう関係があるのだろうか? ドイモイ君が私の口から出てきたどのフレーズに反応して, 表情を急変させたのかをきちんと分析しておくべきだった.

 そのドイモイ君の語り始めたハノイの塔の言い伝えをかいつまんで言うと, 次のとおりである.

 --- ハノイにある古い遺跡のどこかには, 64 段の巨大なハノイの塔があり, それを僧侶が毎日 1 手ずつ進めている. そのハノイの塔の 3 本の棒はそれぞれ< 「物の理」,「人の理」,「第三の理」に 対応している.

 この世界が創造されたばかりの頃は, 当然,人間もいなければ,他の生き物もいなかった. そこには物質だけが存在し,物の理によって世界が動いていた. そこに,生命が生まれ,人間が登場する. その人間の中には,崇高な心を持った何人かの聖人たちもいたが, まだまだ人間の魂は成熟しておらず, 人の理が物の理を越えることができない. 人間は長い歴史の中で,多くの試練を乗り越え,世代を継ぎ, 魂を浄化して,その人の理によって世界を司ることを目指さなければならない. ---

 ハノイの塔はこの物の理から人の理への移行を象徴しているのである. そして,その移行を助けるのが第三の理だという. 確かに,ハノイの塔の解法では, 3 本目の棒をうまく利用することが重要である.

  「それを適切な日本語で言い表すのは難しいので, 第三の理と呼んでおくことを許してください」

 とドイモイ君は言った.

  「もちろん,ノー・プロブレムだよ.」

 さらに, その第三の理は時には物の理と交わり,またある時には人の理と交わるという. その第三の理を極めることは究極の真理に触れることに等しい.

  「先生.なんだか,怪しげな話になってきましたねぇ. お坊さんが毎日ハノイの塔をやっているという話は, マンガか何かで読んだことがありますけど, こんな話は初めてですねぇ.」

  「私もハノイの塔の話は作り話だと思っていたけれど, こういうカバー・ストーリーは聞いたことがないよ.」

  「田沼さん.大事なのはこれからなんです.」

  「ええー! まだ続きがあるんですか?」

  「ハノイの塔の移動が終わったときに, やっと物の理が人の理に移行するのですが, それが途中で阻止されるようなことがあれば, 人の理に司られた世界は決して訪れないのです.」

 ううむ. この話をどう捉えたらよいのだろうか? もちろん,言い伝えなのだから,それを真に受けてもしかたがない. しかし,妙に心のどこかを触られているような, 不思議な感触を覚える話ではないか.

  「つまり,ハノイの塔が崩壊したということは, その僧侶たちの行為が何かによって阻止されたということになるね.」

  「そうですね.」

  「そんなことをする奴は誰なんだ!」

  「いえ.必ずしも誰かというわけではないのです.」

  「?」

 ドイモイ君は何かを言うべきかどうかと一瞬迷ったようだったが, そこで話を打ち切ってしまった.

  「すみません.今日はここまでにしてください.」

  「そんなぁ.いいところなのに.」

 そもそもこの話はベトナム人以外には話してはいけないことだったのかもしれない. 謎のハノイ氏との関係で,ここまで話そうという気になったようだが, それ以上つっこんで聞くのも気の毒だ. もしかすると,こちらが気の毒がる以前に, ドイモイ君の方で,これ以上の話は私たちには理解できないだろうと, 見切りをつけたのかもしれない.

 それにしても,第三の理とは何なのだろうか? また,謎が 1 つ深まってしまった.


つづく

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negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/5/1]