第三の理/第23話
理は我にあり

 そこは暗闇だった. まったく何も見えず,私の存在さえ消滅しているようだった.

 私は自分の輪郭を確認した. 確かに手はある. 足もあり,地面を踏みしめている. 2 つの腕を伝わる気の流れが合流して, 肩から背中に至る輪郭を作っていった. 足を登ってくる気の流れは胃の辺りに流れ込んでくる. 耳,額,そして,鼻や口元に意識がめぐり, 私のすべてが確定した.

 その瞬間,真っ暗だった視野の左隅に 2 つの灯が見えた. 灯はしだいに広がり,その周囲を照らしている. 目が慣れてくると,そこには大きな扉があり, その左右にともった灯の下に 2 人の僧侶と思われる人間が座っているのがわかった. 2 人とも素肌にオレンジ色の布をまとい,左肩を出している. どうやら彼らの役目はその扉を他者から守ることのようだ. ということは,その扉の向こうには,何か大切な物が隠されているのだろう.

 私が近づくと,その 2 人の僧侶が立ち上がり, 何かを叫びだした. しかし,私には彼らの言葉がわからなかった. 私はそのことを身振り手振りで伝えようとしたが, 効果はなかった. いずれにせよ,彼らがその場所から私を排除しようとしていることは明らかだった.

 私の日本語とて彼らに通じないことは百も承知であるが, 私はそこを開けてくれと頼んだ.

「その中に,ハノイの塔があるのでしょう. 私は,そのハノイの塔を修復に来たのです. だから,この扉を開けてください.」

 私が彼らにわからない言葉を発したのを見て, 一瞬,動きが止まったが, 彼らはさらに激しい口調になって,私を追い払うような身振りをした.

「私は何も悪いことはしません.中を見せてください.」

 もはや何を言っても始まらない. 私がこの扉に執着すればするほど, 彼らの口調も強くなる. それならば,私も騒ぐのをやめざるをえまい. この扉に対する執着を解き, 冷静に彼らに接しよう.

 そう思うやいなや,彼らも冷静さを取り戻した. そして,私の視野の右側を指差した. そこには新たな光が射している. それは人工の灯ではなく,自然光のようだった. そこから外に出られるにちがいない.

 私はその扉の中を覗くことを断念し,光の方に進んでいった. そして,暗闇から抜け出した私は,ついに目的のものを発見したのである.

「ハノイの塔だ!」

 木々に囲まれた広場に,巨石を削って作ったと思われる大きな円板が転がっていた. きちんとは数えなかったが, 64 個はありそうだ. 1 つの円板は 20 cm程度の厚さで, 小さいものは直径が 50 cm程度,大きなものは 3 mはゆうに越えている.

 パズルのハノイの塔と異なり,円板を刺す棒は存在していない. 直径 5 m程度の大きな円形の広場が 3 つ接して存在している. その中に円板を積み重ねて塔を作っていくのだろう. 洞窟を背後にしている私から見ると, その円形の広場は逆三角形に並んでいて, 私が考案したアルゴリズムに登場する i, j, k の 3 つの丸と 同じ配置である. しかし,多くの円板が方々に散っていて, 塔とは言えない状態になっていた.

 私は散在する円板の間をうろつき, 一番小さいと思われる円板を持ち上げてみた.

「重い.」

 石で作られた円板は私の予想以上に重かった. それを抱えて持っているのがやっとである. その状態を維持しているだけでも, 両腕,両肩,背中,腰の筋肉が痙攣しそうで, 円板の縁が指に食い込み痛い. それをすべて広場に移動して塔を組み上げることなど, この私にできるのか?

 もちろん,私の筋力ではその作業は到底不可能だろう. 頭を使い,ハノイの塔の修復方法を考案したまではよかったが, 物理的にハノイの塔を組み上げる作業のことは, まったく私の頭の中にはなかった. 今になって,自分の貧弱な肉体が悔やまれる.

 では,どうするか? このままハノイの塔を放置して,退散するのか? ハノイの塔の所在を突き止めた今, いったん日本に帰って体育会系の学生たちをかき集め,仕切直すべきか….

 ここまで来て,なす術がないのが口惜しい. 日頃,頭を使うことなら何でも手際よくこなし, 学生たちから尊敬の眼差しで見られ, 気をよくしていた自分が恥ずかしい. この大事な場面で,それが何の役には立つというのだ!

 いや.待て.冷静に考えよう. どんな筋力の持ち主でも容易に移動できそうにない円板も ゴロゴロしているではないか. となれば, 仕切直すにしても, いったい何人の学生を連れてくればよいのかを? それを見積もるのだ. しかし,その大量の学生たちをどうやってここに連れてくればよいのか? そもそもハノイの塔の修復という話を学生たちが信じてくれるのか? その話を伏せておいたとしても, 航空券を買い与え,いっしょにハノイに行こうという私の言動は極めて不自然だ. そんな話に素直に誘われる学生などいるわけがない….

 こう考えていくと,不可能なことばかりが頭を巡る. それならば開き直ってその不可能を受け入れよう. 常識的には不可能なこと. それを可能にすること….

「石の円板.」

 私はそう呟いて,両手を見た. 多少汗ばんだ掌は砂埃で汚れていた. 円板を持ち上げたときに,付着したに違いない.

「そういうことか….」

 それを払いのけながら,私はあることに気がついた. 石と埃. この組合せには何度もお目に掛かったではないか. そう. しばらく使うことのなかった私の念力を使えばよいのだ. 私の浮揚術の原理となっていた気の塊のコントロールを応用すれば, 物を宙に浮かすことだってできるではないか!

「よし.私の力を試すときが来た.」

 私はその広場を囲んでいる森林に目をやった. 森林と空との境界線が輝いて見える. これはこの一帯が活力のある気に満ち溢れていることを意味している. その気を利用して,散在する円板たちを動かすのだ.

 私は中程度の大きさの円板を選んだ. もちろん,私の体力では動かせないだろう. それが気によって動かせれば,他のものもなんとかなるだろう.

 意識を解放しよう. 周囲の木々から気をもらい受け,私の身体を通して気の塊を作り, 円板の下に滑り込ませて,気の台を形成するのだ.

 森林に満ちている気を吸収して,私は非常に健やかな気分になってきた. これならいけそうだ.

 私の身体の中に十分に気が蓄積されたところで, 腕を開き,胸の前に大きな球形の空間をこしらえる. 微かに風で揺れる木々が放出する気を アンテナのように広げた私の手の指先から吸収し, その気の一部を胸元の空間に蓄える. 残りの気はアースの役割をしている足を通して大地に流し,森林に戻す. この気の循環を繰り返し,胸元の気の球体を成長させていくのだ. それが十分な大きさになったところで,作業開始!

 私が選んだ円板は別の大きな円板にもたれ掛かっている. そのおかげで,円板の下に十分な隙間ができている. そこに気の塊を滑り込ませるのだ. さらに,そこに気を吹き込み膨らませて気の台を形成していきく. その台に乗せて円板を持ち上げていくのだ.

「よし.」

 石の円板はカタリと音を立て,動く気配を見せた. さらに,森林からの気を注入して,その台を成長させよう.

 と思うやいなや, 円板は小刻みに振動を始め,カタカタと言いだした. まるで,地震の前兆のようだ. 大きな地震が来るぞ. そして,その地震によって, この円板は破壊されてしまうのではないか!

 いや. 破壊してはいけない. 物を破壊するために,私はここに来たのではないのだ!

 そう思った瞬間に,私は重要なことを気がついた. このまま,円板を宙に浮かしてはいけない. この円板の振動は,私の執着に対する警告なのだ!

 念力の開眼当初,石を空中に浮かしたときに, 石は爆発し,消滅してしまったではないか. その石本来の姿を無視して, 念力を体得しようとする私の執着が, その石の存在を否定してしまったのだ.

 ということは, 不用意に円板を浮かせることは,その破壊に通じる可能性がある. もし円板が破壊されてしまったら, ハノイの塔の修復はもはや不可能となり, 私のせいで人の理に司られた世界は決して訪れることがなくなってしまう.

 では,円板本来の姿とは何なのか? この問いに答えることこそが, ハノイの塔修復の第 1 手なのだ!

 そもそもこの円板は,他の円板たちとともにハノイの塔の構成要素になっていた. そして,ハノイの塔の移動を開始してから今日までに行われた手数に応じた 形をなすように,積み上げられているべきものだったのだ. それがこの円板の本来の姿である.

 その姿が崩れ,このように円板たちが散在しているのはなぜか?

 この問いの答えを求めて目をつぶると, 次の言葉が思い出された.

「第三の理が物と交われば形となる. 人と交われば言葉となる.」

 なるぼど. ハノイの塔の崩壊は第三の理の欠如に起因するのだ. 第三の理とハノイの塔の構成要素たちとの交わりが断たれたからこそ, その形が崩れたのだ. ならば,散在する円板たちに与えるべきものは, 気のコントロールによる浮揚ではない. 必要なものは第三の理との結合である.

「理は我にあり.我が内なる理と同化せよ!」

 これが円板たちに与えるべき指令だった.

 しかし,私の口からこのような言葉が出ようとは, 私自身驚きだった. なぜ,こんな台詞が飛び出してきたのか? その答えはもはや簡単である. 第三の理と私という人間との結合によって言葉が生まれたのだ.

 私は私自身の中の第三の理の存在を確信した. 円板たちよ. 私の中にある第三の理と同化せよ. それによって,円板たちの本来の姿,本来の形に戻るのだ.

 そのとき,私の身体が発光した. いく筋かの光のリボンが私を取り巻くように舞っていた. そして,私の光は背後の暗闇を照らした.

 その暗闇と思っていたところは,大きな入り口で, 中もかなり広い洞窟だった. よく見ると壁面には細かな掘り込みがあり, それがいわゆる石窟寺院であることがわかった. その中には数え切れないほどの僧侶たちが 下を向いて座っている. 2 人だけだと思っていたのは, 私の思い過ごしだったのだ.

 そして,彼らは一斉に「アー」という声を発した. その声は途切れることがない. 当然,いつかは息が切れるはずなのに, お互いがお互いの息づかいを感じ合い, 絶え間を作らないように調整しているようである. 私はその声に勇気づけられた.

 すると,その群衆の中から 8 人の僧侶が歩み寄ってきた. 彼らはそれぞれ両手でやっと抱えられるくらいの大きさの箱を 1 つずつ持っている. 私はその箱があの扉の向こうにあったのだと直感した.

 彼らは私の前に並び, 8 個の箱を 1 列に揃えておき,蓋を開けた. そして,私に向かって合掌し,再び群衆の中に消えていった.

 その箱の中には,大理石のような材質の石の玉が 16 個ずつ詰められていた. よく見ると,その玉にはマーブル模様が密で黒く見えるものと, ほとんど真っ白なものが, 1 つの箱に 8 個ずつ 2 列に詰められていた. したがって,黒い玉も白い玉もそれぞれ全部で 64 個ずつある計算だ.

 これはハノイの塔の手数を 2 進法で表したものにちがいない. となれば, 黒い玉と白い玉のどちらかが 1 を表し,残りが 0 を表している. つまり,それぞれの箱の 1 列目を見ていって, 黒と白の並びを 1 と 0 の並びと解釈すれば, 8 桁の 2 進数が得られることになる. その 8 桁を 8 個並べて, 64 桁の 2 進数が得られる. それが 64 段のハノイの塔が崩壊する直前の手数を表しているのだ.

 しかし,問題が 3 つある. 黒と白のいずれが 1 を表しているのか? 64 個の石の並びにおいて, 右と左のどちらが小さい桁を表しているのか? さらに,円形の 3 つの広場と物の理, 人の理,第三の理の対応は?

 この答えを推理するために, 私は箱をよく観察した. その答えは意外な程に簡単だった. まず,人類の歴史を考えれば, 64 桁目は 0 に決まっている. ドイモイ君が言っていたように, 超古代文明においてハノイの塔が作られたとしても, 高々何万年前といったところだろう. 一方, 64 段のハノイの塔の移動は 1 手を 1/100 秒で動かしたとしても, 58 億年掛かるのだった. それならば,当然, 21 世紀を間近に迎える現在と言えども, まだその手数の総数の半分も実行していないことになる. だから, 64 桁目は 0 なのである.

 では, 1 列に並べられた 64 個の玉のうちで, 64 桁目は左端なのか,右端なのか?

 これは箱の摩耗の具合で判定がつく. 当然, 1 桁目は毎日,黒石と白石の位置を入れ替えることになるから, 摩耗が進む. 一方, 64 桁目はハノイの塔の移動開始のときから不動のままである. そう考えて見直すと,右端の方が摩耗が激しく, 私たちが通常行うのと同じ位取りが行われていることが判明した.

 ということは,左端の石が 64 桁目である. そして,そこには白石が 1 列目,黒石が 2 列目に置かれていた. したがって,白石を 0 と解釈して, 1 列目の 64 個の石の並びを 2 進数に翻訳すればよいことになった.

 残る問題は 3 つの広場と 3 つの理の対応である. しかし,それもそれほど難題ではない. というのは,幸い,いつもハノイの塔の最下層に位置すべき巨大な円板たちが 円形の広場の中に留まっていたからだ. ハノイの塔の移動が半分も進んでいない現在, 一番大きな 64 番目の円板は物の理の位置にあるはずだ. それを基準にして,アルゴリズムどおりの円板の組み上げ方と 実際に円板の置かれている位置を比較していけば, いずれ 3 つの広場と 3 つの理の対応が判明する.

 これで準備は完了である. 必要な情報はすべて揃った.

 私が得心したのを見て, 洞窟の中にいた僧侶たちが広場の方に湧き出してきた. そして,それぞれの持ち場につく. 大きい円板にはそれなりの人数が配置され, いつでも指示を出せと言わんばかりの構えである. これだけの人手があれば, 塔の修復作業はなんとかなるだろう.

 あとはあのアルゴリズムを実行して指示を出せばよいのだ. しかし,紙と鉛筆があるわけでもないし, ましてやパソコンもない. 地面に書いて計算することもできるが, それもまどろっこしい.

 そこで,私は自分の左手の人差し指と中指と親指を立てて, 指先で三角形を作った. それぞれ順に 1, 2, 3 に対応していると思って, その指先が 1 つずつ入っている 3 つの円をイメージした. その円が , j, k に, つまり,物の理と人の理と第三の理に対応している. その 3 つの円を空間に固定して, 手の向きを変えて,その円に納まる指先のパターンを変化させていくことにしよう.

 いよいよ修復作業の開始だ. 左手であのアルゴリズムを実行して, 右手で指示を与えていくのだ. その手の動きは,まるで仏像が印を結んでいる姿を連想させる.

 そのせいかどうかはわからないが, 僧侶たちは私の指示に素直に従ってくれた. 最初の何手かは広場と理の対応の確認作業である. それが一通り済むと,広場からはみ出して転がっている円板の移動が始まるのだ.

 もちろん,初めの頃は大きな円板の移動にかなり手間取ったが, しだいに彼らの動きが素早くなっていく. 私自身の手の動きも滑らかになり, さらには手を使わなくても自然と答えが見えてくるようになった. これは第三の理との同化によってなせる技である.

 これは楽しい. ハノイの塔がみるみる修復されていくではないか! そして,最後の 1 個が塔の天辺に乗せられた. その瞬間,そこにいた僧侶の全員が歓声を上げた. ついにハノイの塔の本来の姿が復元されたのである.

「やったー!」

 これほどの達成感をいままでに味わったことがあるだろうか. 見ず知らずの,それも言葉も通わない人間たちと, 力を合わせ事を成就させたのだ. なんという充実感なのだろう. その感動に任せて,私はいろいろな台詞をぶちまけていた. それに反応して,僧侶たちも歓声を上げていた.

 第三の理はハノイの塔と交わり形をなした. さらに,私たち人間と交わり, 感動を分かち合う術を与えてくれたのだ. 口から出る言葉は異なるが, 私も彼らも,そのときに互いの言葉が意味しているものを 完璧に理解していたように思う.

 何人かが私のところに駆け寄り,私を持ち上げて, 歓喜の渦の中へと運んでいった. そのとき,私は群衆の中の私の動きを追う 1 つの視線を感じた. その視線の方を振り向くと, そこには彼らに混じって歓声を上げている坊主頭のドイモイ君の姿があった….


 思えば, 64 番目の巨大な円板は物の理の広場にあった. それはそこにいた僧侶全員の力を結集しても移動不可能だろう. 少なくとも人類が物の理に執着しているかぎり, あの質量を移動することは絶対にできない. だとすると, 64 番目の円板を移動する日が訪れるまでに, 我々のなすべきことは, 人の理に大きく傾いた世界を作ることである. それができないかぎり, 64 段のハノイの塔の全過程を終了することなどできようはずがない.

 しかし,それよりも重要なことは, 再びハノイの塔を崩壊させないことである. そのためには,世界中の人々が第三の理の存在を知り, その重要性を認識することが必要不可欠である. 第三の理の浸透. それを促進していくことこそが, 数学者である私に課せられた使命なのだと肝に命じておくことにしよう.


つづく

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negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/11/4]