第三の理/第24話
発信!

 かくして,ハノイの塔は修復された. しかし,その事実を知る者は私とあの僧侶たちとドイモイ君だけである.

 おそらく読者は私のハノイ行きを信じてはくれないだろう. 実際,それを立証する手掛かりはどこにも残っていない. それ以外の事実なら, 実名入りで登場した学生たちを捕まえて, 証言を得ることもできるだろうが….

 ちなみに,ドイモイ君の名前は仮名である. それはベトナム語で「刷新」 を意味する. 第三の理という発想によって, 世の中が新しい状態に移行することを期待して私が命名したものである. したがって,私の大学にやってくるベトナム人の留学生のリストを 探しても彼の名前は発見できないだろう.

 となると,ドイモイ君にあたるベトナム人は実在しないのではないかと 疑う読者もいるだろう. しかし,ドイモイ君の実在を証明するものが私の研究室に 1 つだけ残っている. それはドイモイ君から送られてきた手紙である. その手紙は私の机の上に山積みにされた書類の中に紛れ込んでいるはずである.

 しかし,私の机の上には 無数の書類がうず高く積まれ,もはや机としての機能は失われている. その書類の塔を崩さないように移動し, ドイモイ君の手紙を探し出すことは, 64 段のハノイの塔よりもはるかに難しいだろう. 嘘だと思うのなら, 私の机を見にくるとよい. 何億年も作業を続ける覚悟があるのなら, その手紙を探させてあげようではないか.

 ともあれ,ハノイの塔は修復されたのだ. ということは,地球全体を覆う第三の理の被膜も修復されたことになるのだろう. となれば, 私の周辺にもその影響が現れてもよさそうだ.

 その影響かどうかはわからないが, ここのところ,あの田沼君の調子がよい. 今日も,私の研究室に来るなり, 黒板に絵を描きだし, 「ハノイの塔の手順に現れない状態」 について, 元気よく話してくれた. n 段のハノイの塔は 2n 通りの状態を経て移動を完了する. しかし,小さい円板の上には大きい円板を乗せないというルールだけで 円板を積んでいくと, 3n 通りの状態が実現できる. この数の差から判断して, ハノイの塔の移動過程には現れない状態があるはずだというわけだ.

「実は,ここに来る前に,慶應によって来たんですけど. それで,この前,先生と考えていたハノイの塔の問題を 太田先生に話したんです. そうしたら,いろいろと話が発展しちゃって,てへへ.」

 どうやら,彼は博士課程進学を決意したらしく, 指導教官になっていただく先生のところに挨拶に行ってきたらしい. 気持ちが吹っ切れたせいか,いつになく頭の回転が早い. よしよし.

 ところで,あの謎のハノイ氏も, ハノイの塔が修復されたことを知っているのだろうか? そもそもこの話は人騒がせなハノイ氏の電子メールから始まったのではないか. そして,私には理解不可能な方法で, 私に直接電子メールを送ってきたのだった.

 ドイモイ君は, ハノイ氏のことを彼と同様に世界に散っているベトナム人の 1 人ではないかと 言っていた. そうだとすると, ハノイ氏も何らかの方法でハノイの塔修復の知らせを 聞いているかもしれない.

 いずれせよ,ハノイ氏の正体は謎のままであり, 彼と直接コンタクトをとる方法はない.

 いや,待てよ. 1 つだけ,ハノイ氏にハノイの塔修復の知らせを伝える方法があるぞ. ハノイ氏が私にハノイの塔崩壊の知らせを伝えたのと 同じことをすればよいではないか. つまり,ハノイ氏と同様に, 次のメッセージを私から発信するのだ!

Hanoi Tower was recovered!
Send this message
to two other mathematicia.

ハノイの塔は修復された
このメッセージを
他の 2 人の数学者に送れ.

 もしその受信者がメッセージどおりに同じメッセージを誰かに送信してくれれば, いずれ全世界の数学者全員がこのメッセージを受け取る日がやってくる. そして,そう遠くない日に, ハノイ氏のところへも,このメッセージが届くはずである.


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negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/11/4]