第三の理/第13話
不条理

 その週末,所用で実家に行くことになった. きっと料理好きの父が,名前のつけられない料理を作り, ビールを冷やして待っているにちがいない. 作るだけ作って,散らかし放題の台所を見てぼやいている 母の顔が思い浮かぶ.

 幼い頃には父によく遊んでもらったが, 思春期を迎えると,しだいに父とは話をしないようになった. 私は自分が青年心理学の教科書に載っているような 反抗期のお決まりの行動をとることが許せなかった. だから, 大人ぶって喫煙したり酒を飲んだりすることもなければ, 自分が経験したこともない社会に対して物知りげに批判的な態度をとることもなかった.それは私が単なる優等生だったことを意味しているのではない. 十羽ひとからげのステレオタイプに自分が属すのがいやだったからである. そうはいっても,父親と疎遠になることに関しては, 私も例外ではなかった.

 ところが,大人になって,金を稼ぎ, 正月のたびに親たちに小遣いをあげられるようになってくると, 父親の言葉を素直に聞いてやれるようになってきた. 戦中,戦後の時代に押し流されて, やりたかった勉強もできず,家族を守るために全力を尽くし, 晩年を迎えようとしている父. 大学人となり学問の世界で自由に生きている息子を見て, 彼はどう思うのだろう? 自分に代わって夢を叶えてくれたと息子を誇らしく思う一方, 息子の自由奔放さが許せないかもしれない.

 そういうジレンマを心に秘めていたとしても, やはり息子が遊びに来るのは非常に嬉しいようだ. 年に数回しか実家を訪れない不義理な息子ではあるが, いっしょに酒を酌み交わし, 眠くなるまで私と話している父は幸せそうである. 私の何が変わったのかはわからない. しかし,私という存在が父の心を救っていることは事実だろう.

 幸い,私の住む横浜市と実家のある昭島市までは,電車で 1 時間半程度である. だから,東急東横線,JR南武線・青梅線と乗り継いで, 行く気になれば,すぐにでも飛んでいける距離である. とはいえ,私には南武線の車中はかなり長く感じられた. 新横浜や横浜の「みなとみらい21」 に林立している高層ビルを見慣れた私にとって, 畑や道路沿いに散在するアパートばかりの景色は単調で退屈なものだった.

 そのためか,座席に座りコトコトと揺られているうちに, 私はいつしかうたた寝をしてしまった. そして,次のような不可解な夢を見たのだった….


 その舞台は小田急線の登戸駅のホームから改札口に向かう階段だった. 私が降りようとしている階段の対面にも同じような階段があり, 数人の人たちがその階段を降りてくる. その人の塊の後ろから少し離れて一人の男がやってきた. その男は階段を降りきったところで私の方を向き, ニヤリと笑った.

 そのニヤリと笑った顔はどこかで見た記憶がある. それはいったい誰なのだろうか? そう思って,私は頭の中にある知人のデータ・ベースを検索する. 私がそれまでに出会ったことのある人の顔が次々と思い出され, どんどんと検索が進んでいく. しかし,その男の顔はいっこうに現れない. いったい彼は誰なのだろうか?

 そうこうしているうちに, その男は改札口を出て,JR 南武線の登戸駅へと向かっていった. その後ろ姿は,私に何か空恐ろしいものを感じさせた.

 絶対に,あの男の顔は見たことがある. なのに,なぜ,その男の顔が私のデータ・ベースに載っていないのだ. 私は暗記は大嫌いだが, 決して記憶力が悪い方ではない. というより,普通の人と比べれば,かなり記憶力のよい方だ. 特に,ビジュアルなものに関する記憶力は並外れていると自負している. そんな私が思い出せない人物とはいったい誰なんだ!

 その無言の叫びとともに私はその答えを見いだした. 知人のデータ・ベースには載っていないが, 私がよく知っている男. それは,誰あろう,私自身である. その男は確かに私だったのである.

 幽体離脱をしたわけでもないのに, 自分自身を自分の外に見る. その姿はいつも鏡の中に見る自分とは何かが違う. 左右反対だから多少印象が違うのかもしれない. しかし,それより決定的な違いは, 自分の姿でありながら, 自分の意志とは独立に動いていることだ.

 この不条理に気づいた瞬間, 私はある啓示を受けた. 何かの声が聞こえるというのではなく, こういうことなのだという理解が頭の中に突然現れたのである.

「かくして,数学者が世界を救済する.」

 この意味不明な言葉が頭を駆け抜けたときには, 半分は意識があったような気もする. しかし,またすぐに眠りに落ち, その夢の続きを見ることになった.

 今度は,あの男が降りてきた階段の方に私がいる. 数人の人たちが私の前を降りていき, 少し遅れて私も階段を降りていく. さっきとは違って,今度はうきうきとした気分である.

 そろそろあいつが現れるぞ. ほーら,来た,来た. それも血相を変えて,こちらを凝視しているではないか. そう思うと,自然と顔がにやついてしまった. そうさ.おまえの心境なんかすべてお見通しさ. なぜなら,私はおまえ自身だからだ. そうほくそえみながら,私は小田急線の改札口を抜け, JR 南武線の登戸駅へと向かった.

 要するに,最初の私と今度の私の立場が入れ替わったのである.


 そこで夢は終わる. 私は目を覚まし,その夢の解釈を模索した.

 夢のうちなのか,意識のある世界でのことなのかは判断できないが, 「数学者が世界を救済する」 という言葉も気になる. 数学を志す者として, 数学が世の中のために役に立つというのなら, それは素直に歓迎しよう. しかし,世界の救済につながるとなると,話が大げさすぎる. いったい,数学者がどうやって世界を救済するというのだ.

 もちろん,私にはその救済方法など思いつきはしなかった. しかし,この夢で見たことは, 数学者が救済した後の世界での出来事なのだと直感した. もちろん,それにも理由があるわけではない. 単に寝ぼけた頭でそう思っただけである.

 未来の自分と過去の自分が同居する世界. 通常の時間の概念が成立しない世界. そんな不条理な世界が,数学者による人類救済の後に現れるというのか. そんは世界を実現する救済を人々が喜ぶわけがないではないか. 数学という学問は極めて論理的であり, 冷静で合理的な精神の上に成り立っている. こんな不条理を受け入れることが, なぜ,数学者と関係があるというのだ.

 頭の中には自分の直感を否定する言葉ばかりが湧き出してくる. しかし,その直感は揺らぐことがなかった.

 もちろん,すべてを夢のうちと考えれば,何でもありになってしまう. はたして,この不条理は単なる夢の出来事なのか. それとも,何かを暗示する出来事なのだろうか….

 そもそも, どういう心のメカニズムがこのような夢を私に見せるのだろうか? 心理学者が私の夢の話を知ったら, どのような精神分析をしてくれるのだろうか? 仮に精神異常の判定を受けたところで, 公務員としての地位を奪われること以外には, 痛くも痒くもない. どうせ心理学者には数学者の精神構造など理解不可能に決まっている. 常人には解くことのできない問題を解くことのできる人間を 常人の枠組みの中に分類しようとしても所詮無理な話だ.

 あるときには人には見えない四次元空間 が見えると言い, またあるときにはこの世では実現不可能な射影平面や クラインの壷 を操る. 私に限らず,数学者の頭の中には,普通の人の目には不条理に映るものが たくさん詰まっている. それを不条理とせずに, 合理的な存在に仕立て上げていくこと. そういう数学者の精神活動を「異常」 と呼ぶなら呼ぶがいい….

 いずれにせよ, 私が垣間みた不条理も, いつの日にか「合理」 の名のもとに統合され,解消されるものなのだろうか? 今はそうなることを期待して, その日の訪れをじっと待つしかないだろう.

 少なくとも,父は私の訪れを首を長くして待っている. 今夜は,人類の救済などという大それたことは考えずに, 晩年の父の心を救うというささやかな救済活動に 精力を注ぐことにしよう.


つづく

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negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/11/4]