第三の理/第19話
開眼

 私が降り立ったところは,駒沢公園の南の外れだった.

 そこは学生時代の私のテリトリーである. 私が通っていた東京工業大学のある大岡山から緑が丘を経て自由が丘に至る. 黙々と歩けば, 30 分程度の行程である. さらに調子に乗って, 商店街を抜け,住宅地を通って,目黒通りを横切れば, もう少しで駒沢公園である. 独りでは根気が必要だが, 友達と話しながらだらだらと歩いていけば,決して不可能な距離ではない.

 ジョギングをする人,サイクリングをする人, キャッチボールやバドミントンに興じる人, 犬に散歩をさせる人. 最近は,スケートボードが影を潜め, インライン・スケートを練習する若者たちが目立つ. 東京オリンピックの際に建てられた奇妙な外見の競技場がいくつか並んでいるが, 基本的にはここは森の公園である. 私はその森に包まれてくつろぐのが大好きだ.

 私は都立大の跡地を横目に,テニス・コートの一群を通り抜け, 公園を南北に二分している駒沢公園通りまでやってきた. 向かいには,ハノイの塔を連想させるオリンピック記念塔がそびえ立っている. しばらく前まで工事中だったはずなのだが, その囲いが外されて塔の全形が見えるようになっていた. それは 11 枚の正方形の板を角材の棒に等間隔に刺したような格好をしている. ということは,この塔は 12 階建てというわけだ. 以前にはなかったように思うのだが, その最上階は管制塔のようになっていた.

 私は車に注意しながら駒沢公園通りを南から北に渡り, オリンピック記念塔の前の広場に至る幅の広い石段を登っていった. その石段は 12 段ずつの塊が 3 つ, 計 36 段からなっている. どうやらこの公園は 12 を基調にして作られているようだ.

 石段を登りきったところで振り返り, その 36 段を見下ろした. と,そのとき,私は石段の最下段に何かが一瞬現れたのを感じた. その残像をたよりに思い返せば, それは人影だったような気がする. さらに,鮮やかなオレンジ色が目に残っていた. それはその人物が着ていた衣服の色だったのだろうか.

 とはいえ,もはやそこには 36 段の石段以外には何も残っていない. まあ,気のせいだろうと気を取り直し, 私はオリンピック記念塔に向かって歩き始めた.

 その塔の前の広場では,大学生と思われる一団がインライン・スケートを履いて ホッケーの真似ごとをしている. 小さなペットボトルに水を入れたものをパックの代わりにしているようだ.

 と, 1 人の青年が叩いたパックは激しく回転してコースを失い, 私の方に飛び出してきた. そして,小さな石をはじいた. パックはその場で止まったが,石は私の足元まで転がってきた. その青年が「すみません」 と叫んでいるのを聞いて, 私は彼に手で合図をし,足元の石を拾い上げた.

「石….」

 私はその石を見て, 以前に見た石の夢を思い出した. あのとき,私は気のコントロールを駆使して, 石を空中に浮かす練習をしていたのだった. そして,石は 1 m ほど浮き上がったところで,爆発して,消滅してしまったのだった.

「なぜ,石は爆発したのか? なぜ.石は消滅したのか?」

 私は塔の麓を取り囲む池の縁にたたずんで, 塔を見上げながら,この問いを何度も繰り返した. すると,そのフレーズはしだいに姿を変えていった.

「なぜ,石は宙に浮かなければならなかったのか?」

 その答えは,簡単である. それは石を浮かそうとする私の執着の結果である. 石は石であって, 宙に浮くべき存在ではない. それにもかかわらず, 私はその石を宙に浮かすことに執着した. そして,その私の執着の報いとして, 石の存在が否定されてしまったのだ.

「そうだったのか!」

 この声に驚いて,周囲にいた鳩たちが飛び立った. そのうちの 1 羽が大きな円周を描きながら, 徐々に滑空し,静かに着地した. 私はその姿を見つめて,次の問いを呟いた. 石に対する私の執着に気づけば,当然,浮上すべき問いである.

 私は夢の世界では,空を飛んでいた.

「なぜ,私は空を飛ばなければならないのか?」

 それとて,私の執着の産物ではないか. 人間である私が,なぜ宙に浮く必要があるのだろうか. もちろん,その必要はない. 宙に浮くという執着が私を宙に浮かせているだけなのだ. そして,宙に浮いているときのあの重苦しい気分は, 私の執着そのものだったのだ. その執着を解けば,私は人間として, 何の苦痛も伴わずに,足で地面を歩くことができるではないか. なのに,なぜ,私は空を飛ぶことに執着する必要があるのだ!

 この境地に至った瞬間, 視点が上昇し, 私は塔の麓にたたずむ小さな私の姿を見た. そして,その小さな私の存在は, 森に囲まれた駒沢公園の全景の中にかき消えていった.

 そのとき,私は空気になっていた. 風になっていた. 空になっていた. 大空を飛ぶ自由が得たければ,空自身になってしまえばよいのだ. 人間としての存在に執着せず, 空と同化することができれば, 大空を飛ぶことなどたやすいことではないか!

 かくして,私はすべての執着を解くことが 究極の自由に至る最上の方法であることを悟ったのである.

 私は握り締めていた石を見た. しかし,その手は幼い頃の私の手だった. 何のしがらみにも惑わされることなく, 自由にものを考えていた頃の私の手である. そして,その小さな手に握り締められた石は,私の思いによって, 何にでも姿を変えることができるのだった.

 三輪車をひっくり返して引っ張りながら,「やきーもー」と連呼する私. お客さんが来ると,埃まみれの手で傍らの石を拾い, 前輪のスポークの隙間に入れてペダルを回す. コロコロと前輪の中を回転して下に落ちれば出来上がり. 「はい,やけました」 と石をお客さんに渡す. ひょっとすると,こんなふうに仮想空間で遊んでいた頃の子供心が, 数学者としての私の心の原点なのかもしれない….

 私は懐かしさに包まれて,安らかな気分になっていた. その気分を満喫するために目をつぶり, 再び目を開くと,私は大学の研究室にいた.

 今は,ここが私の居場所だ. すべての行動がここをベースに行われている. うずたかく書類の積み上がった机. 所狭しと置かれている 5 台のパソコン. そのうちの 1 台のモニターはテレビ専用になっている. 足の折れたソファー. 書き散らした計算用紙がばら撒かれたテーブル. 本棚.キャビネット.冷蔵庫.電気ポット.電子レンジ….

 ここにあるすべての物が私の行動の“現れ ”であり, 逆にこの場所とここに存在するすべてのものが私という人間を規定している. その規定された私という存在も,私の執着の産物なのだろうか? 仮にそうだとするならば,その執着から解放されたとき, いったい何が起こるのだろうか?

「もはや飛ぶしかない.」

 流しの上の鏡に映った私が,その答えを教えてくれた. 執着からの解放の末になせること,そして,私のなすべきこと. それはドイモイ君の元へ飛ぶことである.

 私はドイモイ君の手紙の入った封筒を探し出し, そこから彼が写っている写真を抜き出して,テーブルの上に置いた. さらに壁に画鋲で止めてあった卒業生と一緒に写っている私の写真を取り外した. 卒業生には申し訳ないが, この写真を使わせてもらおう. 私はその写真の私を引き裂き,ドイモイ君の写真の上に重ねた.

「飛べ!」

 自分の存在を固定化し,それを破壊した末に,別の場所に置き直す. 自己への執着,物理的存在,地理的位置に対する執着. それらをすべて解消した境地に, 浮揚術をさらに超えた瞬間移動の奥義が存在していたのである!

 これで異国に住むドイモイ君との距離は問題ではなくなった….


つづく

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negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/11/4]