ディープインパクト,ハルマゲドン,そして変容!
横浜国立大学教育人間科学部 根上生也

 今年は,「ディープインパクト」や「アルマゲドン」という映画が話題を呼んだ。いずれも,近未来に巨大な隕石が地球に衝突するという設定である。ストーリー的には極めて類似しているが,両者の間には大きな違いがある。「ディープインパクト」がその衝突による滅びを受け入れようとする人間たちを描いているのに対して,「アルマゲドン」はそれを阻止しようとする人間たちを描いている。そんな隕石の衝突を知らされたら,はたして,あなたはどちらの側の人間になるのだろうか?

 こんな話をするのも,今回の指導要領の改定が,上で述べた隕石の衝突に相当するからだ。もちろん,指導要領の改定で人類が滅亡したりはしない。しかし,この改定によって,日本の学校教育が大打撃を受けることは間違いない。私に限らず,そう懸念する人たちが多いのは事実である。今までにも,何度となく指導要領は改定されてきたし,そのたびに,新指導要領を批判する人はいた。しかし,今回ほどに絶望感を煽り立てるような改定はなかったのではないだろうか。まさに,世紀末にふさわしい。

 ご承知のように,今回の指導要領改定のキーワードは「生きる力」と「ゆとり」である。私はそのキーワード自体を悪いとは思わない。しかし,「ゆとり」は学校完全週5日制を実施するための方便であり,「生きる力」は学力低下の容認である。5日制に伴う授業数の減少を実現するために,教科内容が厳選された上に,「生きる力」の育成のために「総合的な学習の時間」が登場し,通常の教科の授業数を圧迫している。さらに,数学など実生活には役に立たない,つまり「生きる力」とは関係ないという誰かさんの発言を根拠に,難しい数学は排除するという傾向に拍車が掛かった。また,高校数学に限って言えば,「数学基礎」という怪しげなものが登場し,現場を混乱させている…。

 と,非難ばかりを書き連ねたところで,何も始まらない。それは,隕石の飛来のごとく,予定された日時に必ずやってきて,否応なしに私たちの日常性を破壊するのだ。その時が来るまで,ぼやきながら今までどおりの生活を続けるのか,それとも,それを阻止すべく努力するのか? もちろん,指導要領の改定は私たちの力では回避できない。となれば,その衝突による被害を最小限に抑えるべく,知恵を使うべきだろう。その一方で,衝突による破壊を契機に,数学教育の質的変容を図るべきだと,私は考えている。

 というもの,今回の指導要領の改定には,数学が好きな者と嫌いな者,数学ができる者とできない者の間に仕組まれたハルマゲドン(最終戦争)的な側面があるからだ。すでに,「数学はいったい何の役に立つんだ!」「役に立たないならいらない!」というミサイルが何度となく打ち込まれている。私たち,数学に関わる者たちは,それを迎撃する術を持っているのだろうか?

 もちろん,実生活に役立つことだけを根拠に教育を語るべきではない。しかし,数学無用論に対抗して,世の中の流れを変えるほどに,数学関係者たちは雄弁ではなかった。私たちの心のうちにどんな精神が宿っていようとも,敵の目には,寡黙な数学の先生たちは,ただ数式を黒板に書き連ねるだけの非人間的な存在にしか映らない。数学の先生の中にも,無口ではない人たちもいるが,そういう人たちが何を口にするかも問題である。指導要領の改定に対して項目主義的な批判に終始し,大学入試との関係を憂いているだけでは,やはり数学の先生は大学入試に必要な公式にしか関心がないのだと解釈されてしまう。

 このままでは,数学を無用とする世論が拡大し,数学が好きな生徒,数学ができる生徒たちが肩身の狭い思いをする世の中になってしまう。数学しか語れない数学の先生というレッテルを貼られたまま,滅びの時を迎えてよいのか! しかし,逆に言えば,数学を語れる人間は私たち以外にはいない。そのことを自負すべきである。世の中の多くの物事が,数学を排したところで表現され議論されている。そこに数学が介在すれば,より高度な議論が可能になることを,私たちは知っている。それを世の中にアピールしていくべきである。

 もちろん,今までの枠組みでは,それをアピールするチャンスはなかった。数学の先生には世間から嫌われる数学を語るチャンスしか与えられてこなかった。しかし,隕石の衝突によって,その枠組みが壊されようとしているのだ! 現場の先生たちの間では,「数学基礎」や「総合的学習の時間」の評判が悪いことは重々承知している。しかし,それを活かすことこそが,ハルマゲドンを粉砕する唯一の方法なのだ。

 「数学基礎」では,技能修得を目的とせずに,数学の面白さを伝える題材や歴史的な話題を扱うことになっている。それは数学が不得意な文系の生徒用の教科になりさがると言う人たちも多い。しかし,それを活かすも殺すも,授業を担当する先生の技量に関わっている。その先生が単に数学を説明するだけ,歴史的事実を紹介するだけでは,何にもならない。そういう話題をモチーフに,数学に支えられた人間の精神や思いを語ってほしい。そして,そういう内容なら理系の生徒たちにも聞いてほしい。

 一方,「総合的な学習の時間」では,国際理解,情報,環境,福祉・健康などを教科横断的または総合的に取り扱うことになっている。この例示を見て,数学には関係ないと思わないでほしい。数学を排除したところでこういう課題を扱えば,それはただのお話になってしまう。数学が関与することで,それは分析的になることを世に知らせていくべきである。

 例えば,数学ほど世界標準が進んでいるものはない。その世界標準の確立と浸透の歴史に思いを巡らせば,国際理解の話題になるだろう。また,情報伝達の原理や管理の仕組みを考えれば,それは当然数学になる。さらに,環境や福祉・健康も定量的な分析や管理・運営のプランを考える際には,数学が必要になる。

 そんなことはわかっているが,そういうことには興味がない。「基礎数学」や「総合的学習」など,入試には関係ないし,それに精力を費やしてもしかたがない。そう思っている先生も少なくないだろう。しかし,そこで逃げてはいけない。数学の先生が役に立つところを見せてあげよう。そもそも他の教科の先生では数学の先生の代わりはできないのだから。数学の先生が参画することで,できることや世界が広がることを,世の中に伝えていこう!

 かくして,ディープインパクト後の高校数学と数学の先生像,もしくは期待されている姿は,従来のものとは大きく変わる。その質的変容に対応できない先生にとって,今よりも辛い世の中になってしまうかもしれない。しかし,数学それ自体が期待されない教科になりさがってしまえば,すべての数学の先生が辛い思いをすることを忘れないでほしい。

 めでたく変容に成功し,ハルマゲドンをやり過ごすことができれば,隕石の衝突自体も,獅子座流星群や双子座流星群のような素敵な天体現象として,みんなの記憶に残ることになるだろう。そうなることを夢見て,私は流れ星に願いをかける…。


神奈川県高等学校数学部会に寄稿

●おわり● [1999/1/5]

negami@edhs.ynu.ac.jp