うーむ. 第三の理の継承者となる定めを背負ったドイモイ君ばかりか, 私もこの話から逃れられないようだ. それならば,そのすべてを知る権利が私にもあるはずだ. この際,すべての謎を解決してもらおうではないか.
そもそも,このハノイの塔にまつわる事件は, 通称「ハノイ氏」からの電子メールに始まったのだった. となれば,彼とて,私たち以上に,この話に関わっているはずだ. もしかすると,ドイモイ君は彼の正体を知っているのではないか?
「では,私から質問をしてもよいかい?」
「はい.」
「君はもしかしてあのハノイ氏の正体を知っているのではないかい?」
「いいえ.私は直接はハノイ氏のことは知りません. でも,私と同様に海外に派遣された仲間の 1 人ではないかと思います. 私が先生に手紙を書いたのと同じように, 電子メールを使って,全世界の数学者にハノイの塔の修復を願うメッセージを 発信したのではないでしょうか. そして,それに先生が反応したんです.」
「なるほど. 彼の行動は,地球全体に張り巡らされた コンピュータ・ネットワークを利用して, 世界の数学者たちを結び付け, 第三の理の被膜を修復しようという作戦だったのかもしれないね.」
「そうかもしれませんね.」
残念. ハノイ氏の正体を明らかにするのは断念せざるをえないようだ.
やむを得ず,私は次の質問を考えるために, ここに来てドイモイ君から聞いた話を思い返してみた. ドイモイ君の定め,超古代に始まったハノイの塔の儀式, 第三の理の継承者たち,そして, 海外に散っているベトナムの青年たち….
「では,第 2 問. %さっき 君は第三の理との同化が進むと不条理なことが起こりだすと言っていたね. それはどうしてなんだい?」
ドイモイ君はすぐには答えなかった.
「うーん.それは難しい質問ですね. でも,その不条理は本当の不条理ではないのですよ. 普通の人には不条理に感じられても, 第三の理を根拠にすべて理屈がつくことなんです.」
「ほー.」
「つまり,現在は物の理から人の理への移行過程なので, 世の中には物の理と人の理が混在したものが存在しています. それは人の考え方についても同じことです. だから,私たちは,物の理と人の理の混在した発想で物事を捉えてしまうのです. 特に『形』への執着は可能なものを不可能にしてしまいます.」
「なるほどね.私が日本にいる『私』という形に執着しているかぎり, ここへは来られなかったというわけだ.」
「そうですね.さらに第三の理との同化が重要です. 例えば,私たちが理解している距離は物の理を根拠に設定されているものですよね. その物の理よりも第三の理と強力に結びつくことで, 距離の再定義が可能になるのではないでしょうか. そうすることで….」
「また,君はとんでもないことを言うね.」
「形」への執着. 物の「形」として顕在化可能なものには限界がある. 第三の理が生み出すものすべてを顕在化するには, 物の理だけでは事足りない. それを補完するように,生命が誕生し, さらに第三の理を感じ,表現することのできる人間が登場した. そして,世界が人の理に完全に移行したとき, 第三の理のすべてが顕在化する. つまり,その究極の世界において, 第三の理を根拠とするすべてのことが可能となるのだ.
ドイモイ君の話を聞いているうちに, 私の頭の中でも不思議な話が自然と湧き出してくるのを感じた.
「例えば,エジプトにあるピラミッドも不思議な存在だよね. いったいどうやって作ったのか? 私にもその方法はわからないが, あの大きな石という『形』に執着しているかぎり, あんな物は作れるわけがない. ということは, 大昔に,第三の理を宿し,それを使いこなすことができる 人間がいて, 物の理を越えて,人の理と第三の理が交わった結果として, ああいう人工的な形を実現したことになるな.」
「そうですね.」
「それなら,現物はまだ見ていないけれど, ハノイの塔もそれと同じなんだろう?」
「はい.でもピラミッドと違って, ハノイの塔は毎日形を変えます. ピラミッドの場合,どうやって作ったかはわからないにしても, よほどのことがないかぎり,あの形が崩れるとは誰も思わないでしょう. だから,『形』への執着がその崩壊を不可能にしているんです.」
「なるほど.石が風化するかもしれないけえど, あの形がガラガラと崩れる様は想像できないね.」
「でも,ハノイの塔は人の行為によってその形を変えます. 本来,物の理との交わりによって生まれる形を人の理によって修正しているのです. それを可能にするのは,第三の理との強力な交わりがないと不可能なことです.」
なるほど. 物の理,人の理,そして第三の理の発想をつかんだ私にとって, 次のドイモイ君の言葉は,もはや聞くまでもなかった.
「ハノイの塔が崩壊した直接の原因はわかりません. 何かの災害によるものなのか,それとも人為的なものなのか. でも,人類が第三の理を強く意識していれば, ハノイの塔の形は簡単には崩れなかったはずです. 超古代文明を崩壊した地球の大異変のときでさえ, 崩れなかった塔なのですから.」
ドイモイ君はさらにハノイの塔の不条理さを語った. しかし,それは想像を絶する世界観へとつながっていった.
そもそも ハノイの塔は世界を物の理から人の理へと移行させることを目的に 作られたものだった. しかし, 64 段のハノイの塔の全過程を遂行し, その目的を達成することは,原理的に可能なのだろうか? 以前計算したように, 1 手を 1/100 秒で実行するとしても, その全過程は 58 億年も掛かるのだった. それは現在の地球の年齢よりも長い年月である. となれば, 1 日に 1 手というルールを守っていたのでは, 全過程が終了するときには, 人類はおろか,地球も太陽も消滅しているかもしれない. さらに,宇宙の存在さえも怪しい. 未来永劫,核戦争や人為的な環境破壊による人類滅亡が起こらないとしても, いずれ地球は人間が生存不可能な星になってしまうだろう. そんな状況下で,誰がハノイの塔の移動を続行するというのか?
「もちろん,人間が物の理に執着して生きているかぎり, それは不可能ですよ. でも,人間の精神がもっと進化して, 人の理のみに司られて生きるようになれば問題は別です.」
「なるほど.」
「現在はまだ,世界全体が物の理に偏った段階なので, 人間は肉体という物をまとって生きています. でも,いずれ人類が人の理に忠実に生きる時代がやってきます.」
「…」
「いえ.やってくるようにしなくては….」
「物質的な世界が滅亡する前に そういう時代がやってこないと, ハノイの塔の移動はそこで中断ということだね.」
「そのとおりです.」
逆に言えば,物質的な世界の破滅的な終末から人類を救済するには, 第三の理に対する理解を徹底し, 人類全体を物の理を放棄した世界に引越させてしまえばよいことになる. はたして,その引越先の世界はどのようなところなのだろうか?
第三の理の徹底. 「第三の理」を「数学的原理」と読み替えるならば, この救世活動はまさに数学を志す者に課せられた任務なのではないか. いわば世の中から隔離されたような世界で戯れている数学者たちが世界を救う. そんなことができるのだろうか?
一瞬,私の脳裏を南武線車中で見た夢の映像が駆け抜けた.
「かくして,数学者が世界を救済する.」
そういうことなのだろうか?
少なくとも,世の中は実利的なことばかりで動いている. そのリズムに合わせて,数学も効率をはかるための道具に使われている. もちろん,その数学の道具的な側面を否定するつもりはない. しかし,安易に「何の役に立つのか」 などと問わずに, 数学を人間の存在に関わる根源的なものと捉える必要があると, 私は機会があるたびに訴えてきた. その訴えは,まさにドイモイ君の述べた世界観と符合するではないか!
数学観の違いから私の主張に関して議論がかみ合わないことも多かったが, 「数学」を「第三の理」に置き換えれば,すべてがすっきりする. 今まで考えてきた数学に対する私の発想をそのまま踏襲して, 第三の理の徹底をはかっていけば, いずれ人類が救われる日がくるのだろうか? そんな救世活動のようなことは,私には荷が重すぎるのでは….
「先生はよいことに気づきましたね. ハノイの塔の修復は,人類救済のための第 1 歩ですよ.」
「ずいぶん大げさなことを言うね.」
「はい.現段階では人類全体の救済は無理でしょう. でも,ハノイの塔の修復は数学者である先生に課せられた責務なんですよ.」
そういうとドイモイ君は椅子から立ち上がり, 壁に画鋲で止められている数枚の写真を手で示した. そこにはベトナムのものと思われるいろいろな光景が写っていた. 大きく蛇行する河. 森林の茂みをぬってゆっくりと流れる川. いろいろな遺跡. その中にはいかにもハノイの塔を思わせる遺跡もあった. おそらく,石を組み上げ,彫刻を施したものだろう. そこに並ぶ 3 つの塔は松ぼっくりを思わせる表面と形をしているが, 実物はかなり大きいのだろう. その他にも,禿山に首のもげた彫像という写真もあった. ベトナム戦争の傷跡なのだろうか.
ここに来る前に,ベトナムについて何も勉強してこなかったことが悔やまれる. いったい,この写真に写っているどの場所にハノイの塔があるというのだ.
「最後の質問をさせてくれ. ハノイの塔はどこにあるんだい?」
「残念ですが,今の私にはわかりません. でも,悩む必要はありませんよ. 父はハノイの塔に共鳴できれば,道は自ずと開けると言っていました. 先生はもうどこに行けばよいかおわかりのはずです.」
ハノイの塔との共鳴. 私の中に宿る第三の理に共鳴する微かな音をたよりに, そこへ飛んでいけばよいのだ. ドイモイ君の指し示す写真は私の飛揚を促すヒントでしかない. そこに映っている「形」に執着してどうするのだ.
「先生の中に宿っている第三の理を信じてください.」
その言葉に励まされて,私は飛んだ.
「先生との再会によって, 私の中の第三の理が大きく動きだしている気がします.」
それが私が耳にしたドイモイ君の最後の言葉だった.