その後,NHK の下請け会社から, テレビに放映する 2 本のビデオの監修をやってほしいという話が舞い込んできた. ご覧になった方も多いと思うが 「エルデシュの肖像」と「フェルマーの定理」である. 後者は, ワイルズがフェルマーの最終定理を完全解決するまでのプロセスを 再現したものである. こちらはなかなかよくできていて, 監修者としてすべきことはほとんどなかった.
一方,「エルデシュの肖像」の方は, 1996年 9 月 20 日に 83 歳でこの世を去った ポール・エルデシュの生涯をまとめたものだった. 私自身,日本で開催されたグラフ理論の国際会議の際に エルデシュと話をしたことがあったが, そのときはそれほどにエルデシュの偉大さを理解していなかった. しかし,そのビデオを見て,多くの数学者たちが 彼を特別扱いしている理由がよーくわかった.
ところが,郵送されてきた日本語版の台本を見て,私は愕然とした. エルデシュを語る上で最も重要な「エルデシュ・ナンバー」のシーンが カットされていたのだ. その部分がなくなってしまったら, 視聴者の目には, エルデシュが単に戦争当時に苦労したユダヤ人数学者としてしか映らないではないか. 台本作りを担当するディレクターに抗議したところ, よく意味がわからないからという理由でカットされたのだという.
ここにも第三の理の被膜を破壊する行為が存在していた. 下訳の悪さや自分たちの不理解を棚に上げて, 数学的に意義のあるものを意味不明なものとして排除しようとしている…. しかし,ハノイの塔が修復された今, その小さな亀裂を修復するのは簡単だった. 映像という「形」を私としいう人間を通して「言葉」に変えてあげればよいのだ.
そのエルデシュ・ナンバーは次のように定義される. まず,エルデシュ自身のエルデシュ・ナンバーを 0 とする. そして,エルデシュと共同で論文を書いたことのある人のエルデシュ・ナンバーを 1 とする. さらに,エルデシュ・ナンバーが 1 の人と共著の論文を書いた人の エルデシュ・ナンバーを 2 とする. 要するに,論文の共著者を何人乗り継げばエルデシュに到達するかが, その人のエルデシュ・ナンバーである.
エルデシュの凄いところは, 世界中の大半の数学者のエルデシュ・ナンバーが 3 以下になってしまうということだ. 私自身もエルデシュ・ナンバーが \infty であることを誇っていたのだが, 慶應義塾大学の太田克弘氏と共著の論文を書いた途端に, エルデシュ・ナンバーが 3 になってしまった.
この事実は,全世界で行われている数学の研究のほとんどが, エルデシュとその周辺の人々だけによって行われていることを意味している. もちろん,その周辺の人々の数は莫大なものだが, その中心的な役割を果たしている人がエルデシュ 1 人というのが凄いのである. こういう状況が生まれたのも, エルデシュが定職も定住する家も持たずに, 世界中を放浪していたからである. そして, 彼の頭の中にあることや他の数学者から聞いた情報を, 世界中の数学者たちに直接伝えていったからである.
放浪を続けるエルデシュの軌跡は手毬の糸のように地球を包んでいく. それはまさに地球を覆う第三の理の被膜を強化する行為だった. ということは, ハノイの塔の崩壊はこのエルデシュの死と関係があるのかもしれない….
いずれにせよ, 下訳された台本からではエルデシュ・ナンバーの意味が汲み取れず, 視聴者にもわかるまいと判断されていた. 第三の理の徹底を誓った私としては, この事態を見過ごすわけにはいかない. 監修者の責務として,「エルデシュ・ナンバー」をカットするなと進言し, そのシーンを復活させた.
かくして,放映されたその 2 本の番組はなかなか好評だったようだ. しかし,あのようなビデオを日本で作れるのだろうか? 日本で数学関係の番組を作ろうとすると, いつも子供向けのものばかりが企画されて, 博士とおりこうさんとの掛合になりがちだ. 日本でも,大人のセンスで見られる数学モノのビデオが作られるようになると よいのだが….
そういえば, 最近, ビデオの監修に留まらず, 学校の現場の先生方を対象に講演をしたり, カルチャーセンターや公開講座などで, 社会人や余生を楽しんでいるご老人たちを相手に 数学の話をしたりという機会が増えてきた. 専門的な数学の内容ではなく, 数学の心の部分を語る. 「第三の理」という言葉自体を浸透させようとは思わないが, 人々に第三の理の精神を伝えるチャンスが向こうからやってくる感じだ. これもハノイの塔の修復に関与した者に与えられた宿命なのだろうか?
まあ,そんなに大げさに捉えずに,自分にできることをやっていこうと 私は思っている.