「物の理」,「人の理」,「第三の理」. 本編でも述べたように, この 3 つの理の相互作用を考えることで, いろいろなことが説明できる. 数学者である私が考えているせいもあるだろうが, 数学に関わる事柄には特に効果があるようだ.
例えば,数学という教科において「構造の理解」を指導する際には, それぞれの理を順に「具体」,「抽象」,「構造」に対応させるとよい. 初めは具体的な例を観察して, 試行錯誤の末に問題となる性質を抽象する. その際には,その背後に控えている構造をきちんと見極めることが重要である.
また, 「表象」,「形式」,「実体」という組合せもおもしろい. 「形式」の中に「形」という文字が入っているが, それは物の理に相当するものではない. ここでは記号や数式による表現のことを「形式」と呼んでいる. 記号や数式をその意味も考えずに操作しているだけなら, それらは物の理の世界に後退してしまうだろう. しかし, 意味を伴って扱えばその形式は「言葉」として機能する.
普通の人にとって, 五感に訴える具体的な姿, すなわち「表象」が欠如したものを理解することは不可能に近いだろう. しかし,数学を専攻し,形式によって実体に触れる訓練を積んだ人間には, 欠如した表象さえも作ることができるのである. 例えば, 黒板に書かれた図とその手前の空間を利用して, 私は 4 次元空間に浮かぶ図形を見ることができる. その「見える」という感覚を言葉で表現するのは難しいが, 私と同じような感覚を持っている数学者も少なくはない.
では, 数学とは関係ないが, なぜ若者たちはピアスをしたり,髪を染めたりするのだろうか? 要するに,彼らは「形」にこだわっているわけだ. そういう変な外見の連中を集めて, 何を考えているのかを聞いたとしよう. 流行に乗って格好を真似しているだけの者もいれば, 自分たちが生み出す文化を雄弁に語る者もいるだろう. 「外見」,「主張」,「心」. この若者たちの実態も第三の理の発想で捉えることができそうだ….
他にもいろいろと考えてみよう. 実は,本編全体のストーリーにも第三の理の発想が貫かれている. それを読み取ってもらえただろうか? その答えは「石と埃」の項目に書かれている.