第三の理/補足●
連続体仮説

 簡単な言葉で言うと, 連続体仮説とは次のような命題である.

数学の専門用語を用いると, となる.

 この連続体仮説の真偽に対して, 20 世紀の数学者たちが下した結論は, 極めて不可思議なものである. その状況を述べる前に, 命題自体の意味を解説しておこう.

 まず,自然数とは,

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, …

のことで,小学生でも知っている物を数えるために存在している数のことである. もちろん,この数が無限に続くことも誰でも知っている. 無限というと ∞ という記号を思い浮かべる人が多いだろうが, この自然数の個数を表す無限を χ0 (“アレフ・ゼロ”と読む)で表し, 可算濃度と呼ぶ. なお, χ はヘブライ文字で,アルファベットの A に相当する.

(!ヘブライ文字のフォントがないので,形の似ているギリシャ文字の“カイ”を代用しています.)

 一方,実数とは,数直線上にずらっと並ぶ数のことで, 有限桁で終わる小数もあれば,無限に続く小数もある. その中でも,有限小数と循環小数は分数を使って表すことができる. そういう数を有理数という. 逆に,分数で表現できない無限小数(例えば, √2 や円周率 π など) を無理数というのだった. もちろん,実数も無限にたくさん存在する. その実数の個数を表す無限を χ で表し, 連続濃度と呼ぶ.

 自然数全体は実数全体の中にパラパラと散在しているから, 自然数よりも実数の方が圧倒的に多いことは誰も疑わないだろう. つまり,どちらも無限であることには変わりがないが, 自然数の無限と実数の無限とでは, その度合いに差があるのである. この事実を上で用意した記号を用いて,

χ0 < χ

と表現してもよいだろう.

 となれば,自然数にそれ以外の数をどんどん追加していって, 実数全体になる手前で止めれば, 自然数全体よりも多くて実数全体よりも少ない数の集まりが作れるような気がする. 仮にそのような数の集まりが存在するならば, やはりそれも無限に多くの数を含む. その無限を χ1 で表すことにすると,

χ0 < χ1 < χ

ということになる. しかし,連続体仮説は χ1 のような無限は存在しないと主張している.

 例えば,自然数に 0 と負の数を加えた整数全体を考えてみよう.

…, -5, -4, -3, -2, -1, 0, 1, 2, 3, 4, 5, …

もちろん,整数も無限にたくさん存在するが, 整数は自然数よりも多いのだろうか?

 単純に考えると, 整数の方が自然数の 2 倍くらい多く存在するように思える. でも,整数を次のように並べてみると,どうなるだろうか?

0, 1, -1, 2, -2, 3, -3, 4, -4, 5, -5, …

こうすると, 0 から始めて順に整数を数え上げていける. もちろん,その個数は無限だから数え終わるわけではないが, 並んでいる順番どおりの対応で, 整数と自然数が過不足なく対応がつく. ということは, 整数と自然数は同じ個数だけ存在していると言ってもよいだろう. しかし,“個数”と言っても, 相手は無限なので, それを個数とは呼ばずに濃度という. 整数の濃度も,自然数の濃度と同じで, χ0 なのである.

 このように,自然数との 1 対 1 対応を考えていくと, いろいろな数の集まりが自然数と同じ濃度であることがわかる. 例えば,数直線に稠密に並んでいる有理数でさえ, その濃度が χ0 であることが知られている.

 その一方で,実数の濃度としての χ がある. 実数全体からその大半を除去しないかぎり, 残りの数の集まりの濃度も χ のままであることが知られている. 例えば,実数全体から有理数全体を除去して得られる無理数全体の 濃度は χ である.

 こういう経験から, はたして χ0 よりも大きく, χ よりも小さい 濃度 χ1 はあるのかという疑問が湧いてくる. そして,そのような中間的な濃度は存在しないというのが 連続体仮説である. しかし,あくまでそれは仮説であって, 証明された事実ではない.

 もちろん,数学者の間で, 連続体仮説を証明,または逆に否定しようとする動きがあっただろう. しかし, 公理的集合論が整備された 20 世紀の初頭から, おかしなことが起こりだした.

 まず,1938年に,ゲーデル(K. G"odel, 1906--1978)が, 集合論の公理系が矛盾を含まなければ, それに連続体仮説を公理として追加しても, やはり無矛盾な公理系となることを証明した. 簡単に言うと,連続体仮説を正しいと信じても, 何の不都合もないということである. ということは,連続体仮説は正しいのだろうか?

 さらに,1963年には,コーエン(P.J. Cohen, 1934--)が, 集合論の公理系の中では連続体仮説が正しいことは 証明不可能であることを証明した. 正しいことが証明できない以上, 連続体仮説は正しくないと信じたところで, やはり何の問題もないということになる. これは,ゲーデルが示したことの逆ではないか!

 どういうことなのだろうか? これは,数学の世界と言えども, 白黒がはっきりしないことがあるのだと, 解釈できなくもない. 要するに, いくら議論を尽くしても, 証明も否定もできない命題が存在し, その命題を信じても,その否定を信じても何の矛盾も生じないということである. こういう不可解な現象が起こるのは, もちろん,いくつかの公理を設定し,それから形式的な推論のみを行うという 極めて限定的な世界でのことである.

 いずれにせよ,この事実を教訓的に捉えると, お互いに反対のことを口にしているにもかかわらず, それぞれの立場では,矛盾のない世界観が構築されている可能性がある という考えが生まれてくる. そう気づいたとき, 当時大学生だった私の人生観は大きく変わった. 自分の頭で考えたことや経験ばかりに執着せずに, 他の人の考え方や世界観にも耳を傾けようと….


negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/5/1]