未来からの徴兵令状

根上生也 著


 ギン.ガンガンガン.

 「くそー.まただよ.」

 お決まりの電子音で,ゲームオーバー. ぼくの操る戦闘ロボットは,いつもこの場面になると, 右足にミサイルを食らって, そこで機能停止になってしまう. 結局,今度もこの場面がクリアできず,一からやり直しだ.

 「あーあ.」

 そういえば, このテレビ・ゲームを始めてから何日が経つのだろう. ずいぶん長い間,大学にも行っていない. そもそも,下宿から一歩も外に出ない日が何日も続いている. 段ボールで買い込んでおいたカップラーメンも底をついたことだし, 何とかしないといけないな.

 そう思っているところに, ピンポーンと呼び鈴が鳴った.

 「はーい.」

 ドアの覗き穴を覗いてみると, 外に紺の制服に帽子をかぶった男が立っていた. チェーンを掛けたままドアを開けると,

 「速達です.」

 と男が言った. そして,男はぼくに一通の封筒を手渡すなり, そそくさと去っていった. アパートの階段を降りる音が妙に頭に響く.

 要するに,あの男は郵便屋さんだったのか. でも,郵便屋さんって,あんな制服を着ているものだったかな.

 いずれにせよ,何日も部屋に篭もり,ゲームをやり続けていた ぼくの頭はぼけていた. 手にした封筒を見てはいるのに, そこに書かれている文字が目に飛び込んでこない. 少なくとも,知り合いからの手紙ではなかった. 何かの役所から送られてきたもののようだ.

 「まあ,いいや.」

 封筒の端を破り,中身を抜き出すと, 薄赤い紙がきれいに三折になっていた. それを広げてみると, 冒頭に「徴兵令状」と書かれていた.

 「えー.徴兵令状! いつから日本に徴兵制がしかれたんだ?」

 ゲームに占領されていたテレビの画面の裏では, 政府が徴兵制実施に踏み切ったというニュースが流れていたのだろうか. でも,そんなことがありえるのだろうか? 徴兵制を実施するためには,憲法の改正が必要なことぐらい, ぼくだって知っている. 憲法改正の議論も耳にしたことはあるけれど, そんなに改正を急いでいる雰囲気ではなかった.

 といっても,しょせん,ぼくのような人間が見たり聞いたりできることは たかが知れている. テレビで報道されることを鵜呑みにするしかないぼくに, 世の中の本当の動きがわかるわけがない. そもそも,大事な情報源だったテレビもゲームに占領されていたわけだし, この数日間の出来事は何もわからないぞ.

 ぼくはテレビからゲーム機のコードを抜き取り, 慌ただしくチャンネルを切り替えた. しかし,どのチャンネルも 芸能人の顔ばかりが並んでいて, ニュースはやっていなかった.

 今,日本はどうなっているんだ? テレビで暢気に芸能情報を垂れ流しているところを見ると, 戦争が始まったわけではないようだ. それなのに,徴兵令状とはどういうことなのだろう. 単に訓練のためなのだろうか?

 いずれにせよ,ワイドショーのおかげで,今日の日付がわかった. そして,徴兵令状に書かれている出頭の日付は明日だった. 明日の午前10時きっかりに,東京都庁ビル第三エレベータに乗ること. 状況がよく飲み込めないが, ぼくはこの指示に従うことにした.


 明朝10時,ぼくは指定のエレベータの前にやってきた. 午前中の都庁というのは,こんなに静かなものなのだろうか. 偶然かもしれないが, このフロアーにはぼく以外の人間は誰もいない.

 少々不安な気持ちを抱えたまま,エレベータに乗り込もうと, エレベータのボタンに指を伸ばすやいなや, エレベータのドアが開いた.

 「お待ちしてましたよ.」

 エレベータの中には, 軍服を着た大柄の男が二人立っていた. ぼくは中に招かれ,その二人の男の間に立った. 彼らの背丈は見上げるほどに感じられたが, 本当はぼくの気持ちが萎縮していたので, そう見えてしまったのかもしれない. 天井のライトがまぶしい.

 エレベータのドアが閉まり,エレベータは上昇を始めた. エレベータの内部は光に包まれ,無音だった. 後ろに腕組をして,微動だにしない男たちに, ぼくから声を掛けられるような雰囲気ではない.

 「ちょっと揺れますよ.」

 ぼくが右の男を見上げていると, 左の男がこう言った. その声に反応して,左を向こうとした瞬間, エレベータが揺れた. 本当は,単にぼくが目眩を感じてふらついただけなのかもしれない.

 そして,エレベータが止まり,ドアが開く. エレベータの外は,エレベータの中と同様に, 白い光に包まれた無音の空間だった.

 そこはさほど広い部屋ではなかった. 中央には大きな机があって, きちんとしたスーツ姿の男が背もたれの大きな椅子に座っていた.

 「ようこそ.指示どおりに出頭していただいたことを感謝します.」

 その言葉は丁寧だったが, どこか威圧的だ. もはや初対面の挨拶など無用といった感じだ.

 「君のことはよく存じ上げています. 君の所属は北部第二戦闘ロボット部隊です. 君の特技を活かして,活躍していただきたい.」

 ぼくのことをよく知っている? ぼくの特技? 何やら意味ありげな言葉だ.

 「では,となりの部屋で,手続きを済ませ, 入隊のための訓練を開始してください.」

 ぼくはとなりの部屋に通された. そこはSF映画で見るような未来的な雰囲気の部屋だった. 小型マイク付きのヘッドフォンをつけた美人なお姉さんが モニターを見つめながら,キーボードの上に指を走らせた. ぼくの位置からではモニターに表示されている内容は見えないが, きっとぼくに関する情報が表示されているのだろう.

 「その青いパネルの上に両手を置いて, そこのファインダーを覗いていただけますか?」

 「はい.」

 ぼくは言われたとおりに,パネルの上に両手を置き, ちょうど顔の高さにある双眼鏡のようなものを覗いた. 特に何かが見えるわけではなく,真っ黒だったが, 一瞬,赤い光が点滅した.

 「何なんですか,これ?」

 ぼくがお姉さんに尋ねると, お姉さんは微笑んだだけで答えてはくれない.

 「これで手続きは終わりです. 次の部屋に行って下さい.」

 こう言い放つと,お姉さんは誰かと連絡を取っている. すると,白い壁だと思っていたところが, ドアとなって開いた. お姉さんは,左手でそちらに行けと促した.

 その向こうの部屋には,愛想のよいおばさんがいた.

 「こちらですよ.」

 その声に従って,おばさんのいるカウンターのところに行くと, おばさんはぼくに緑色の制服と黄色のヘルメットを手渡した.

 「そこのロッカーで着替えてちょうだい. そしたら,あそこのゲートをくぐっていってね.」

 「はい.」

 おばさんの愛想のよさにつられて, ぼくは元気よく返事をしてしまった.

 「そうそう,その元気よ.がんばってね.」

 そう言われて,悪い気はしない. 言われたとおりに,制服に着替えて,ヘルメットをかぶった. そんなにかっこよいとは思えないが, これが戦闘服なのだろうか. なんだか訳のわからないままに事が進んでいってしまうけれど, まあいいや. そして,ぼくはおばさんに言われたとおりに, ゲートをくぐっていった.

 そのゲートは狭い通路になっていて, その通路は大きな整備工場のような空間へと通じていた. そして,そこには数体の巨大なロボットが立っていた.

 「まるで,ぼくがやっていたゲームの世界じゃないか!」

 その光景を呆然と眺めていると, キャップを反対にかぶってロボットの整備をしていた男が ぼくの方を向いて陽気に手を振っている.

 「おーい.こっちだよ.君の乗るのはこいつだよ.こっち,こっち.」

 せかされるものだから, 思わず,ぼくは走ってしまった.

 「よく来たね.ささ,乗った,乗った.」

 「えー.乗れっていわれても,ぼく….」

 「乗ったことはないって言いたいんだろ. 大丈夫,大丈夫.君なら乗れるって.」

 このおじさんは, まるでぼくのことをよく知っているかのうように話している.

 「ぼく,そんなに器用じゃないですから….」

 「なーに.こいつは基本的には自動制御なんだから,誰だって乗れるのさ.」

 「はー.」

 ぼくは言われるままに,ロボットの頭部につながるタラップを登った. すると,頭部のハッチが自動的に開いた.

 「その中に入って,座席に座るんだ.念のため,シートベルトも締めるんだよ.」

 「はーい.」

 ぼくは今度もおじさんの陽気さにつられて 元気よく返事をしてしまった. 元気のよい返事がいけないわけではないが, 訳のわからないまま流れに流されている自分が情けない.

 ぼくは座席について,シートベルトを締めた. そこから眺める光景は,まさに,ぼくのやっていた戦闘ロボット・ゲームの 最初のシーンのようだった. ぼくの前面にはいろいろな計器が並んでいるけれど, ぼくには関係なさそうだ.

 すると,少し見上げる高さにあるモニターの電源が入り, 制服の男の顔が現れた. それと同時に,天井から操縦管と思われるものが降りてきて, ぼくの両手の位置で静止した.

 「これより,歩行訓練を行います. その二本の操縦管をそれぞれの手で握って下さい.」

 ぼくは両手を見つめ,二本の操縦管にも目をやった. モニターの男は,ぼくをせかす様子もなく, じっとぼくを見つめている. そして,ぼくが操縦管を握ったのを見るや, このロボットの操縦方法を説明した. 要するに,右に行きたければ右の, 左に行きたければ左の操縦管を前に押せばよいだけのことだ. ゲームセンターのロボットもののゲームと同じじゃないか.

 「前面のパネルの左上に二つの棒グラフがあるのがわかりますか?」

 「はい.」

 「その上段がエネルギー・ゲージです. そのゲージが0になれば,君は動けなくなります. もちろん,想定される駆動時間に応じてエネルギーを注入しておくので, そのゲージが0になることはないでしょう.」

 「了解.」

 「一方,下段のゲージは耐久度を表しています. 機の受けたダメージを総合的に判定して, 以後のタメージに対する耐久度を算出した値が表示されています. つまり,そのゲージが0になったときは, 敵の攻撃に対してまったくの無防備になったということです. その場合は, 戦闘の続行は不可能だと考えたほうがよいでしょう.」

 「了解.」

 「もちろん,当面は,ダメージ・ゲージは関係ありませんが.」

 知らず知らずに,自分の口調が兵隊のようになっているのが悲しい.

 「では,さっそく.歩行訓練です.前進をして外に出てみましょう.」

 ぼくは多少うきうきして,操縦管を握りしめた. そして,少しずつ両方の操縦管を前に押すと, ぼくの乗っている巨大ロボットが動きだした. 目の前の景色が後ろに流れていくように変化する. ゲームとは違って,これの臨場感はすごい. すごいもなにも,これは本物なんだ!

 「なかなか結構ですね.そのまま,格納庫を出てください.」

 「了解.」

 すると,前面の巨大なドアが開き,外の景色が見えてきた. そこは,屋外で,飛行場のように広い.

 あれ,でも待てよ. ぼくは都庁ビルのエレベータに乗ってここまでやってきたはずだ. それなのに,飛行場にやってきてしまったというのは, どういうことなのだろう. 確かに何かおかしいが,目の前に展開している現実を受け入れざるをえない.


 かくして, ぼくは戦闘ロボットの操縦士になってしまった. そして,その飛行場のような敷地の中で, 三日間の操縦訓練を受けた後, 北部第二戦闘ロボット部隊に所属すべく,北海道に運ばれることになった.

 ぼくが乗っているロボットの他に,三体のロボットが空輸され, すでに基地にいた四体と一緒になって一つのチームが編成された. そのチームの中では,ぼくのロボットは三号機と呼ばれることになった.

 この八体からなる戦闘ロボット・チームは, 前線の防衛を目的としているため,どの機にも火器は登載されていない. 敵の攻撃をかわしながら,敵を単に物理的に押し退けていくのだと説明された. したがって,ぼくたちは自分の機を敏捷的に操り,敵の攻撃をかわす訓練を受けたり, 他のチームと格闘技の試合をしたりという毎日を送り, ミサイルで何かを破壊したりという訓練はいっさいしなかった.

 そして,出撃の日がやってきた. ロシアの戦車部隊が北方領土のある島に進攻し, その島にある研究所を奪おうとしているのだった. その研究所の中では,日本にとって極めて重要な研究がなされているそうだ. だから,敵の進入を絶対に阻止しなければならない. ぼくたちの部隊は空輸機でその島に急行した.

 空輸機は四本の足を伸ばして着陸した. そして,機体の腹部の大きなハッチが開く. そこから,ぼくたちのロボット八体がノコノコと現れる.

 ぼくは初めての敵との戦闘に緊張していたにちがいない. ロボットの足なら数歩の距離にあるのに, 空輸機の中から見下ろす地面は,ずっと向こうにあるように感じられた.

 「よし,いくぞ!」

 ぼくは気合いを入れた. ぼくがどんなにおびえていても,ロボットの形相は変わらない. 敵にぼくの弱気がばれないことを思うと, なぜか力が湧いてきた. 今までの訓練の成果を活かして,戦うんだ!

 ぼくたちは,研究所を背後に敵の出現を待ち受ける. 研究所の近くには古株の四体が待機する. ぼくを含む四体が実力で敵を排除するのだ.

 基地からの報告によると,眼前に見える丘を越えて, 敵は進攻しようとしている. 先手を打って,こちらから出向いてやろう. ぼくたち四体のロボットはその丘を登っていった.

 先陣を切って進んでいった一号機が頂上に登り着くやいなや, 向こう側に飛び込むように消えていった.

 「敵の戦車隊,発見! 敵はすぐそこまで来ているぞ.」

 一号機が叫んだ. 敵に先制パンチを加えたようだ. ぼくも急いで戦闘に加わろう.

 丘を登りきってみると, その下には平地が広がっており, 10台を越える戦車がこちらに向かって動いていた. その平地の向こうの海上から,敵はこの島に進入したのだ.

 一号機はすでに,一台の戦車の機駆動部分を破壊して, 戦闘不可能な状態にしていた. 二号機と四号機もそれぞれ戦車の動きを制すべく突進していった. ぼくはひとつ出遅れた感じだ. そのぼくのロボットをめがけて,戦車からミサイルが発射された. この距離からならその弾道は読み切れる. かわすのは簡単だ.

 はずれたミサイルは丘の中腹に突き刺さり爆発した. そして,砂煙がぼくの視界を奪った. やな予感だ.

 ギン,ガンガンガン.

 ぼくのロボットは重心を失って,崩れ落ちた. どうやら一発目は足元の装甲の堅い部分に不発のまま当たり, 続けて,三発,小型のミサイルが右足に命中したようだ. まるで,ぼくがクリアできなかったゲームの場面じゃないか. さらに,このまま攻撃を受けたら,ぼくはゲームオーバになってしまう.

 ぼくは前面のパネルを見た. エネルギーはまだ十分にある. ロボットの右足が動かなくなってしまったものの, 耐久度も十分にある. このロボットの中にいるかぎり,まだまだ安全だ. あきらめるのは早いぞ. このまま戦闘能力がなくなったふりをして, 事態を見守ろう.

 ぼくを取り巻いていた砂煙が落ち着き, ぼくは視界を取り戻した. 敵の戦車隊とそれを排除しようとする三体のロボット. どう見ても,こちらの方が分が悪いようだ. 当初,大活躍だった一号機は,数台の戦車に取り囲まれて,身動きがとれない. 二号機,四号機も同じような状況だ. 火器を持たないぼくたちにできることはここまでだ.

 と,落胆しかけた次の瞬間,一号機が周囲の戦車ごと爆発した. どこからミサイルが打ち込まれたのだろうか? ぼくにはそれがわからなかった.

 「こちら三号機.二号機,四号機,気をつけろ! 戦車以外からミサイルが飛んでくるみたいだぞ.」

 「了解.おれたちだってミサイルくらい使いたいぜ.」

 二号機からの通信だ. その発信主を見ると,さっきの一号機と同様に,戦車に取り囲まれている. そう思うやいなや,二号機も爆発した.

 「こちら四号機.二号機も爆発したぞ. どこからミサイルが飛んできたのかわからないか!」

 「いや.ぼくにもわからない.」

 「くそー.そういうことか.」

 「え?」

 「わかったぜ.北部第二戦闘ロボット部隊の強さの秘密が.」

 「どういうこと.」

 「説明は後だ.ロボットを捨てて逃げ出すんだ!」

 「逃げるだって?」

 「そうだよ.こんなに敵に囲まれちゃ, おれも一巻の終わりだ. 脱出するぜ.」

 「何を言っているのさ?」

 「いいから,脱出だ!」

 そう叫ぶのと同時に,四号機も周囲の戦車もろとも爆発した. ぼくには何が何だかわからない. とにかく脱出だ!

 ぼくはハッチを開けた. 直立していれば,到底飛び降りられる高さではないが, ロボットの右足が破壊され,崩れ落ちた格好になっているおかげで, 地面までの高さはさほどのものではない. ぼくは意を決して,ハッチから飛び降りた.

 着地に失敗して,転倒. 右足が痛い. とにかく,身を隠す場所を探すのだ!

 ぼくは痛い右足を引きずりながら, 必死に走る. ぼくの背後には,数台の戦車がぼくのロボットに群がっているような音がする. でも,それを振り向いて確認する余裕などない. 走れ! 走って,隠れる場所を探すのだ!

 次の瞬間,ぼくのロボットが爆発した. その爆風で,ぼくも吹っ飛ばされた.

 その後どうなったのか,ぼくにはわからない. どこかの穴に落ちたような気もする. そして,そこで気を失ってしまったようだ. 穴の上から,銃を構えて, ぼくを見下ろす数人の兵隊の姿を目撃したような気もするのだが, もうどうでもよい. このまま気を失っていた方が楽だ. そういう誘惑にかられて,ぼくは眠りについてしまった.


 ぼくが気づいたときには,ぼくは檻の中にいた. ぼくは捕虜になってしまったのだ.

 「やっと,気づいたみたいだ.我ながらやになっちゃうね.」

 ぼくの顔を覗き込んだ男が言った. その男は,ぼくと同じ戦闘服を着ていて, 年格好もぼくと同じような感じだった. さらに,同じような格好をしている男がこの檻の中にいる. ぼくも含めて,全部で七人いる. 彼らもぼくと同様に捕虜になってしまったのだろうか?

 いや,同様どころではない. だんだん頭が動き出し, 周囲の様子がはっきりと目に映ってきた. そこにいる連中は,何あろう,全部,ぼくじゃないか!

 「そういうことだよ.ここにいるのは,全部ぼくなんだ. 君も含めてね. 君は七人目のぼくだよ.」

 それに続けて, もう一人のぼくが言った.

 「まったく情けないことだよ. ゲームに熱中していて,大学に行かないでいたら, 徴兵令状がきたんだろ.」

 「そうだけど.どうして,そんなことがわかるのさ.」

 「だって,ぼくは君なんだもの.」

 「確かに,ぼくと同じ姿をしているけれど,ぼくは….」

 そこに,ぼくたちの会話を笑いながら, 白衣を着た老人が檻の外に現れた. アインシュタイン博士を思わせる風貌なのだが, 日本語をみごとに操っていた.

 「は,は,は.いつものことだが,愉快なことだ. 君たちは,よほど歴史には無関係な人間と思われているようだね.」

 「そう言わないでくださいよ. この光景を見るたびに,ぼくは自分が情けなくなりますよ.」

 最初にぼくに話しかけてきた男が言った.

 「は,は,は.新入りさんに,事態を説明してあげなさい.」

 「はい.決まりですから,ぼくが話します. どうせ,誰か話してと言ったところで, ぼくは自分からそれを買って出るような性格じゃないですからね.」

 その男はぼくを見つめて話しだした.

 「簡単に言うと,ぼくたちは未来の日本政府から徴兵されたんだよ.」

 「え?」

 「そして,過去から未来に連れてこられたんだ.」

 「そんな….」

 「信じられないって言うんだろ. 君はぼくだから,君の言いたいことなんて,みんなわかっちゃうよ.」

 「….」

 もはや黙って聞くしかないようだ.

 「悲しいことだけれど,ロシアが日本に進攻しようと動きだしたんだ. それに対処するために,いろいろな防衛設備が日本に配備された. その一つがぼくたちが所属していた北部第二戦闘ロボット部隊だよ.」

 「それはわかっているよ.」

 「そうそう.そこまではわかっているよね.訓練中にいろいろと教育されたからね.」

 「そのとおり.」

 「でも,ポイントは,なんで未来の政府がぼくたちを徴兵したかだよ.」

 「悲しいけれど,ぼくたちが役立たずだから.」

 別の男が口を挟んだ.

 「そうそう.ぼくたちは役立たずなんだ.」

 「役立たずのぼくが役に立つんだよ.この時代ではね.」

 さらに何人かが口を挟み,ぼくを除く,六人のぼくが笑いころげていた.

 「そんな,みんなで笑っていないで,ちゃんと説明をしてよ.」

 「ごめん,ごめん.」

 「要するに,この時代でも,いろいろな政治的な理由があって, 日本には徴兵制がないんだ. でも,敵の攻撃に対応しないわけにはいかないだろ. 自主的に自衛隊に入ってくれる人もいるけれど,数は知れている. そこで,防衛庁のある人間がすごいことを思いついたのさ.」

 「それは過去の人間を徴兵するというアイディアなんだ. ぼくたちの立場からすれば, 未来の政府に徴兵されるということだけどね.」

 「そんな.そんなことができるわけが….」

 「ぼくたちの常識ではそんなことはできないよ. でも,ぼくたちがこうしてここにいる事実があるじゃないか.」

 「….」

 「まあ,いいから.最後まで聞いてよ.」

 なんだか,とんでもないことになってきた. 未来の政府に徴兵されるなんて.

 「そして,どういう人間が徴兵されるかというと….」

 「未来の歴史に影響を与えない人間!」

 ぼく以外の全員が口を揃えて言った.

 「その人がいなくなったせいで,歴史が変わってしまっては大変だからね.」

 「だから,歴史に何の影響も与えそうにないぼくみたいな人間が 連れてこられたのさ.」

 「そのとおり.ぼくたちは歴史に影響のない人間と判定されてしまったんだ. 実際,ぼくを連れてきても,歴史は何も変わらなかったんじゃないかな.」

 「それで,安心して,次から次にぼくを連れてきたのさ.」

 「そうそう.ぼくは未来の日本政府がお墨付きをくれた役立たずなのさ.」

 「いつも,先に来た連中は,そうやって茶化すんだから. かわいそうじゃないか.」

 最後に口を開いたぼくが,このぼくの気持ちを代弁してくれた. 確かに,ぼくが役立たずなのは否定しがたいが, ぼくはそんなに情けない人間だったんだろうか.

 いずれにせよ,納得がいかないことばかりだ.

 「納得のいかないことがたくさんあるだろう. まず,どうして,自分がたくさんいるのか.」

 「その答えは簡単さ. あの日の午前10時に都庁ビル第三エレベータにはぼくがいるんだろ. ただ,それを連れてくるだけのことだよ. それを何回も繰り返せば,こういう結果になるってわけさ.」

 「そもそも,そんな時間を越えた人さらいみたいなことが どうやれば可能なのか知りたいだろう.」

 「うん.」

 「残念だけど,ぼくにはその原理がわからないよ. 博士の話を何度聞いてもチンプンカンプンさ.」

 「は,は,は.テレビ・ゲームばかりやっている連中にわかってたまるものか.」

 「それはいいっこなしですよ.」

 しばらく,黙っていた博士が口を開いた.

 「原理はともかく,日本政府は時空を越えて人間を 移動する手段を21世紀初頭には確立していたんだよ.」

 「えー.そんなことって.」

 「驚くのも無理はないが,それは事実だ. 実際,日本では,時空転移装置の研究は, 第二次世界大戦の終了とともに始まっている.」

 「えー!」

 新入りのぼくだけでなく,七人が同時に声を上げた. この事実は,他の連中も知らなかったようだ.

 「歴史に影響のない君たちでも, 日本に原子爆弾が投下されたことは知っているだろう.」

 「ひどいですよ.そんな言い方.」

 「原子爆弾の放射能の影響は有名だが, アメリカ軍の調査団が調査を怠ったある場所に不思議な現象が起こっていることを 日本人の科学者たちは見逃さなかった. 原子爆弾の爆発に起因して, その周辺の時空が捻れ,時空転移が起こっていたのだ. それを人為的にコントロール可能なものにすべく, 研究が進められ,今日に至っているという情報がある.」

 こんな話は,到底ぼくには信じられない. それはぼくでないぼくとて同じことだろう.

 「は,は,は.信じられなくてもしかたあるまい. しかし,ロシアの科学者は,この情報を信じて, チェルノブイリの原発事故の跡地を調査したのだ. そして,そこに時空転移現象を発見した.

 ロシアの時空転移の研究はそのときから始まったのだ. その研究も完成段階に近づいている. つまり,我々もようやく時空転移装置を完成させるに至ったのだよ.」

 「ほんとですか,博士.」

 ぼくではないぼくが博士に聞いた.

 「まだ,実験段階ではあるが,数日後には利用可能となるだろう. そうすれば,君たちを元の時代に戻してあげることができる. これも時空を越えてやってきた君たちの協力のおかげだよ.」

 「やった.」

 「しかし,この話は他の人間には秘密にしておくのだよ. 君たちは,今のところは,我々の捕虜なのだからね.」

 どうやら喜んでいるのは先にやってきた連中のようだった. 今来たばかりのぼくには,この事態を受け入るので精いっぱいで, 元の時代に戻りたいという気持ちなど,まだ湧いてこない.

 「いずれにせよ,時空転移装置を完成させているのは, 現在,日本とロシアだけなのだよ. そして,その技術の獲得を巡って,世界情勢は動いているのだよ.」

 「ぼくには政治のことはよくわかりませんが, 時空転移装置の技術というのは,世界の政治を動かすほどの 大発明なんですか?」

 「もちろんだとも. まあ,過去に戻る君たちには,あまり詳しいことは教えられないが, ロシアが日本に進攻する結果になったのも, この技術獲得が関連しているのだ.

 例えば,君たちが防衛していた北方領土の研究所では, その最先端の研究がなされているらしい. そのため,ロシアの軍部はその研究所を占拠しようと試みている. 逆に,日本政府はその研究所を死守すべく, 捨て身の防衛体制をとっているのだ.」

 「捨て身?」

 「そうだよ.捨て身.昔の言い方だと特攻隊というのではないかね.」

 「特攻隊だって.」

 ぼくらの中でどよめきが走った. ぼくも,頭の中で「特攻隊」という言葉と四号機の最後の言葉とがリンクした.

 「そうだったのか. ぼくたちの戦闘ロボット部隊にミサイルが装備されていなかった理由がわかったよ.」

 「防衛をモットウとする自衛隊だからなのだと信じ込まされていたけれど, ぼくたちが乗っていたロボット自体が爆弾だったんだ.」

 「くそー.それで戦車が群がるなり,他のロボットが爆発した謎が解けたぞ!」

 「あれは,ロシア軍のミサイル攻撃ではなくて,ロボットが自爆したんだ.」

 「でも,ぼくが操作できる部分には自爆装置のスイッチはなかったぞ.」

 「ということは….」

 「くそー!」

 「ぼくたちが死んだところで,この時代の人たちには何の影響もないからな.」

 「ぼくたちの代わりは何人だって,過去から持ってこられるんだ!」

 ぼくたちは,それぞれに怒りをぶちまけていた. なんてひどいことをするんだ. 歴史に影響のない人間を過去から連れてきて, 自爆ロボットに乗せて戦わせる. そんなことが許されていいのか!

 「こんなことが許されてよいわけがない. しかし,それが許されてしまうのが,戦争なんだよ. 戦争が始まってしまえば,すべてのルールは無意味と化してしまうのだ.」

 冷静だった博士の顔にも,憤りの表情が感じられた. そして,何かを決意したようだった.

 「いいかね.数日後にイワノフという小柄な男がここにやってくる. その男の指示に従いなさい.」

 そう言い残すと,博士は去っていった.

 「くそー.どうしたらいいんだ.」

 「こんな檻に入れられていたんじゃ,何もできないよ.」

 「また,八人目のぼくがここにやってくるのだろうか?」

 「あのロボットが自爆ロボットだったとすると, 八人目とはかぎらないぞ.」

 「となれば,君だって七人目のぼくだという保証もないことになるぞ.」

 「そうだ,そうだ.」

 憤りを口にしたところで, 今のぼくたちには何もできない. ただ,八人目のぼくがここにやってこないこと, そして,未来に連れてこられたぼくが, ここの七人だけであることを祈るだけだった.


 そして,数日が過ぎた.

 しかし,八人目のぼくは現れなかった. その代わりに,待ちに待ったイワノフがやってきた.

 「私,イワノフです.博士,みなさんを呼んでくるように,私に言った.」

 ぎこちない日本語だったが, その小柄なロシア人は信頼してもよさそうな顔だった. 彼は博士からの手紙だといって, ぼくたちに一枚の紙を手渡した. その紙には,博士の研究室に至る所内の略図が描かれていた. 特に,博士の研究室に通じる廊下の一部が丸で囲まれていて, そこに注意書きが添えてあった.

 その廊下の角から博士の部屋までの部分は監視カメラで監視されており, そこを通ってしか博士の部屋には入れない. そこを同じ顔をした人間が七人も歩いていたら, 目立ってしかたがない. そこで,博士はぼくたちが同じ顔だということを逆手にとった作戦を考えていた.

 監視室には複数のモニターがあるが, 所内のすべての監視カメラと同じ数だけあるわけではない. そのため, この廊下の映像もあるモニターに五秒間表示され後に 五秒間は他の場所の映像に切り替わっている. 博士の作戦はこの闇の五秒間を利用するというものだ.

 まず,ぼくたちのうちの二人がイワノフと一緒に所内を歩いて博士の部屋に向かう. すでにここに来ていた何人かは二人ずつ, 時空転移装置の開発に必要なデータを取るために 博士の部屋に呼ばれていたから, 監視カメラが二人のぼくが歩いている光景を捉えても, 監視員は不信には思わないはずだ. 一方, 残りの五人は監視カメラのちょうど背後にある通気孔までダクトの中を這っていく.

 廊下の角から博士の部屋まで行くのに, 走れば十秒は掛からないだろう. しかし,走っている姿は監視員に不信感を抱かせる. そこで,イワノフが同行していく二人は,あえて監視カメラに映るように 廊下に立つ. 一人は監視カメラが捉えるぎりぎりのところにイワノフといっしょに立ち, もう一人はその位置と博士の部屋のドアとの中間地点に立つ. その二人の間の距離なら,走らなくても五秒もあれば楽に移動可能だ.

 イワノフは自分の腕時計で監視カメラが切り替わるタイミングを測る. そして,監視カメラが切り替わるのと同時に, 通気孔から一人が下りてイワノフの位置に, イワノフのところにいた者が廊下の中間点に, 中間点にいた者が博士の部屋の中へと移動する. この移動が五秒間,そして,次の五秒間は何もなかったふりをして, 監視カメラに堂々と映っておく. これを繰り返して,一人ずつ順に博士の部屋に入っていくのだ. こうすると,モニターを見ている監視員には, いつも二人のぼくとイワノフしかいないように見えるわけだ.

 この作戦をイワノフの日本語で説明するのは至難の技だろう. それで,博士は作戦を手紙に書き記したにちがいない.

 ぼくは五人組のメンバーになった. この五人組は, ぼくたちが閉じこめられていた部屋の通気孔の網をひきはがして その中に潜り込み, 地図を頼りに,ダクトの中を進んでいく. まるで,アクション映画でよく見るシーンだ.

 必死の思いで,目的の通気孔に到着すると, イワノフがこちらを見上げていた. その通気孔の網を外して,準備完了.

 イワノフが手招きして,作戦開始の合図をした. 一,二,三,四,五. 一人が通気孔から下りて,順に移動し,一人が博士の部屋へ. そして,なにくわぬ顔で五秒間の休憩.

 ぼくは七人目なので,一番最後に通気孔を下りることになった. こちらの思惑どおり,特に警報が鳴ることもなく, ぼくの番がきた. これで最後だ. イワノフとぼくと六人目のぼくは,堂々と歩いて博士の部屋に入った.

 「これで全員揃ったね.」

 博士はぼくたち全員の顔を順に見た. 他の連中がこの部屋の光景を見るのは初めてではないのだろう. 博士の部屋の中を眺め回しているのはぼくだけだった.

 その部屋の天井は高く,上の方に灯窓があった. その窓ガラスから,鳩が中を覗き込んでいる. その鳩の目には,部屋の真ん中に置かれた 巨大な卵のような形のカプセルが映っているにちがいない. そのカプセルからは四方に電線が伸びていて, 壁に据え付けられている計器類と連結されているようだ.

 「未来に連れてこられたのがこの七人だけならよいのだが. それは祈るしかあるまい.」

 そう言って,博士はぼくたちにぼくがいつも着ているのと同じような服を手渡した.

 「その格好で元の時代に戻ったのでは変だろう.」

 「そうですね.右翼の青年と間違えられてしまいますね.」

 ぼくたち全員が同じことを言った. それも当然.ぼくたちは全部同じ人間なのだから. そして,同時に笑いながら,それまで着ていた緑の制服を博士がくれた服に着替えた.

 「実験はすでに成功している.ほらね.」

 博士が見せた物は,日本語の新聞だった. よく見ると,それはぼくが都庁ビルを訪れた日の朝刊だった.

 「これは一つしかないから, 最後に来た君にあげよう. タイム・トラベルの最中はゆっくりと読む暇はあるまいがね. 家に戻ってから読むといいよ.」

 そう言って微笑みながら, 博士はぼくに新聞をくれた.

 「では,そろそろ始めようか.」

 博士はイワノフにロシア語で指示して, いろいろな機械の電源を入れていった. 博士の部屋のあちこちでうなる音がする. それがしだいに大きくなり, だんだんと一つの大きなうなりになっていった.

 「よし.準備完了だ. これで君たちは元の時代に戻れるよ.」

 博士がカプセルの扉を開けて, ぼくたちを中へと促した. ぼくはここに来た順にそこに入ればよいと考えた. ということは,誰もが同じことを考えたはずだ. 実際,どのぼくも自分の順番を理解していて, 混乱することもなく,順にカプセルの中に入っていった. そして,順に博士にお別れの言葉を残して, カプセルからこぼれる光の中に姿を消していった. といっても,気のきいた言葉など誰も思い付かない. ただ「さようなら」を口にしただけだ.

 ついに,六人目のぼくが消えて,ぼくの番になった.

 「くれぐれも,歴史を変えようなどと思ってはいけないよ. 君にできることをして生きていきなさい.」

 博士は, カプセルのタラップをゆっくりと登るぼくを見つめて, こう言った.

 「私は私のできることをする.」

 「はい.わかりました.」

 ぼくはそう言って光の中には入っていった. 振り向くと,イワノフの口が動いているのがわかった. きっとロシア語で「さよなら」と言っているにちがいない. しかし,その声はもはや聞こえなかった. 博士の姿も,イワノフの姿も,すべて光の中に消えていく. そして,一瞬の目眩がぼくを襲った.


 安定を失って,しりもちをつくと, そこはあのエレベータの中だった. そして,チーンとチャイムがなって, エレベータのドアが開いた.

 エレベータの外は広いオフィスのフロアーになっており, たくさんの人たちが働いていた. みんな都庁の職員にちがいない. 彼らの視線は,しりもちをついているぼくを厳しく攻撃している. まるで「なんで君がこんなところにいるの」と訴えているようだった. ぼくは体制を立て直し,軽く会釈して,ドアを閉めるボタンを押した. そして,一階のボタンを押して,その場から立ち去ることにした.

 エレベータを下り,都庁のビルから出てみると, 辺りは確かに見たことのある風景だった. これは未来ではない. ぼくのいるべき時代に戻ったのだ.

 でも,待てよ. ぼくはあのエレベータに乗って目眩とともに未来に飛び, 目眩とともにこの時代に戻ってきた. となると,ひょっとすると, ぼくが垣間みたエピソードは, ぼくがエレベータの中で転倒して気を失っていた間の夢の出来事なのかもしれない. やけにリアルな夢だったけれど, それが夢ならどんなに心穏やかでいられるだろうか.

 しかし,ぼくの手は博士からもらった朝刊を握りしめていた. ぼくは都庁に向かう途中,どこかで朝刊を手にいれたのか. もしそうなら,この朝刊を博士からもらったというのも, ぼくの思い込みなのかもしれない. そもそも徴兵令状を手に,都庁までやってきたはずなのに. その徴兵令状が朝刊に化けてしまった.

 えーい.どちらでもよいではないか. それが夢であろうとなかろうと, 今のぼくには関係ない. ぼくが歴史には何の影響も与えない人間, 何の役にも立たない人間として, 未来に連れていかれたという思いは消すことができない. この腹立たしい思いをどうしたらよいのだ.

 確かにぼくの生活を振り返ってみると, 何のために生きていたのかわからなくなる. ゲームに熱中して時間を過ごす. それはそれで楽しいけれど, それだけで人生を終えてよいわけがない. 誰かが用意してくれたお楽しみにのっかって, 時間を潰していく人生. それこそ,歴史に何の影響も与えない人間の人生だ.

 仮に夢のうちだとしても, 未来の日本政府から受けた屈辱的な扱いが, 今のぼくを奮起させている. ならば,奮起したぼくに何ができるんだ.

 そういえば,博士は別れしなに, 「私は私にできることをする」 と言っていた. そのとき, 博士は博士の時代に起こってしまった戦争を 博士の力で終わらせようとしているのだと, ぼくは直感した. その手始めに,捕虜だったぼくたちを元の時代に戻してくれたのだ. そして,ぼくにできることをして生きろと言ってくれた.

 ぼくにできること. それは何なのか? 博士は起こってしまった戦争を終わらせる. それならば,ぼくがすべきことは, まだ起こっていない戦争を始めさせないことなのではないか? だからといって, 反戦運動に参加するなんて, ぼくのがらじゃない. だとすると….

 まあ,無理に何かをすることもないさ. 博士も,歴史を変えようなんて思うなと言っていたし. ぼく自身の歴史が変わってしまうようなことを してもしかたがない. ぼくはぼくにできることをするんだ. 今までのぼくはできることすらしてこなかった. それが反省できただけでも,大きな進歩じゃないか.

 「そうだ.それでいい.」

 そして,ぼくの姿は,いつしか新宿の雑踏の中に飲まれていった.


根上生也 1997/12/23

●おわり● [1999/1/1]
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