ムカデ


 石垣の石の隙間に1匹のムカデが住んでいた. 彼は日中そこで寝て,日没とともに目を覚ます. 夜が深まり森のすべてが寝静まった頃, 彼は餌探しを兼ねた散歩に出かける. だから,ムカデは森のみんなとはほとんど顔を合わしたことがなかった.

 ある晩のこと, いつものように散歩をしているときのことだった. どこかで誰かの声がする. こんな夜更けに誰だろうと,ムカデは声の方へと歩いていった. それは小さなアリだった. アリは足をなくして泣いていた. ムカデがどしたのかと尋ねると,

 「人間に足をむしられたんです. それで,家に帰れなくなっちゃって.エーン.」

 とアリが答えた. そして,ムカデの顔を見るなり,アリはいっそう大きな声で泣きだした. ムカデはたまりかねて,アリを背中に乗せ, 家まで送ってやることにした.

 道々なだめなだめ,やっとのことで泣き止ませたものの, 家の前まで来ると,アリはまた泣き出した.

 「アリは足がなくちゃ,働いていけないんだ…. 明日からいったいどうしたら….う,う,う.」

 ムカデはあたりを見回した. こんなところを誰かに見られたら, 自分がアリを泣かしているのだと思われてしまう. ムカデはなんとかアリをなだめようと苦心惨澹. そして遂に,

 「アリさん,アリさん.それなら,ぼくの足をあげましょう. 私にはこんなにたくさん足があります. 1本や2本なくなったって,ちっとも困りはしませんよ. 百もの中には,きっとあなたにピッタリの足があるはずです. さあ,探してごらんなさい.」

 と言った. アリはムカデの意外な言葉に驚いた. が,言われたとおりに無数に並ぶ足の列を眺めていった. すると,本当にアリに合いそうな足があるではないか.

 「さあ,どうぞ.お取りなさい.」

 「本当にいいんですか?」

 「ええ,どうぞ.」

 アリはその足を取って,自分の体にすえ付けてみた. その足は思った以上に具合がよい. アリは大喜びで家に飛び込んだ. そして,ミミズの干物を持って再び現れ, もう帰ろうと歩きだしたムカデを呼び止め, それを手渡した.

 「ありがとう.本当にありがとう.このご恩は一生忘れません.」

 翌日,この話は夜明けと同時に森中に広まった. その証拠に, さっそくクワガタに足をもぎ取られたカブトムシがムカデのところにやってきた.

 「ムカデ.おるか?」

 「はい.どなたでしょう.」

 いつもならぐっすりと眠っている時分だった. 初めてのお客さんはうれしいような気もするが, 眠い目をこすりこすり,不愛想な応対になってしまった.

 そこには逆光を浴びた巨大な影が動いていた.

 「実はな,ご覧のとおりの有り様だ. それで,おまえに足をもらおうと思ってやっていきたのだ.」

 「でも,カブトムシさん. ぼくがあなたのようにたくましい足を持っているわけがないでしょう.」

 「いやいや.百もの中にはきっとあるはずだ.」

 「そうおっしゃるなら,どうぞ探してみてください. それで,もしあったら差し上げますよ.」

 カブトムシはその言葉を待っていたとばかりに, 足を探し始めた. そして,あまり時間を掛けずに,彼に合う足を探し当てた. カブトムシはそれをもぎ取り, 自分の体にすえ付けてみた.

 「うむ.こいつは具合がよいわい. それじゃ,こいつをもらっていくぞ. ありがとうよ.」

 カブトムシはお礼にミミズの干物を置いて帰っていった. ムカデはそれをひとかじりして,また眠りについた.

 その翌日も, 高飛びで足を骨折してしまったバッタがムカデのところに足をもらいにやってきた. ムカデは,

 「あなたのようなバネのきいた足などあるわけがありません.」

 と断ったが,

 「百もの中にはきっとあるはず.」

 と言われて,結局はバッタに足を探させた. すると,やはりバッタにピッタリの足があった. バッタはそれをもらったお礼にミミズの干物を置いて去っていった.

 またその翌日には,自分の巣に誤って足をからめてしまったクモがやってきた. その次の日には,クマンバチとの戦いで足を失ったミツバチがやってきた. そして,その次の日も,またその次の日も, 足をなくした虫たちが次から次へとムカデのところにやってきた. ムカデはその都度断ったが, 「百もの中には」と言われて足を探させる羽目になった. そして,虫たちは自分に合った足を見つけ出し, それをもらったお礼にミミズの干物を置いていった.

 こんな数日が続くと, ムカデの話に半信半疑だった虫たちも しだいにそれを信じるようになった. それに比例して,ムカデのところに訪れる虫たちの数も増えていった. 1日に数匹といわず,時には列ができることもあった. そうなると,お礼にもらえるミミズの干物の量もたいへんなものになる. もはや夜の餌探しなど必要ない.

 そもそも日中は虫との応対で眠ることができないから, 夜に散歩に出かけるどころか,ぐっすりと睡眠をとらなければならない. つまり,ムカデの生活は昔とはまったく逆転してしまったのだ. だからといって,ムカデはそれを苦痛には感じていなかった. 食べきれずに狭い部屋の中に山積みされていく ミミズの干物に囲まれて, ムカデは幸せだった.

 しかし,その幸せは束の間だった. 虫たちの中に, 干物だけ置いて黙って足を持っていく者が現れだしたのだ. ムカデはそれを咎めたりはしなかったが, それを受け入れている自分に気づいたとき,愕然とした.

 さらに,決定的だったのは, コガネムシの親子が「なあんだ」と言うなり, 何もせずに帰っていったときだった. それ以来,誰もムカデを訪れることがなくなってしまったのだ. つまり,その時点で,ムカデの足は尽きてしまった. どんな虫の足でも持っていたムカデは, 今は自分の足さえ持っていない.

 彼はもがいた. どうすることもできず,ただもがき続けた. これでは餌探しに出ていくことなどできそうにない. 残っているミミズの干物もいずれは尽きてしまうだろう. その後は,飢えに自分が食いつぶされていく. そんなのはいやだ. 「いやだ,いやだ」とつぶやきながら, ムカデはもがき続けた. そして,もがき疲れたムカデはいつしか眠りについてしまった.

 そして,数日が過ぎた. さらに,数ヶ月が過ぎた. ミミズの干物はとうに尽き, 飢えさえも尽き果ててしまったようだ. そこには,ただムカデの意識だけが残っていた. その意識もいずれは尽きてしまうのだろう.

 それからどれほどの月日が経ったのか, ムカデには知る由もなかった. 干からびていたムカデの体は, 雨水で適度な水分を得たようだ. 石の天井から落ちる雫に打たれて, ムカデは目を覚ました.

 石垣の割れ目から見る雨上がりの森は眩しい. その眩しさに誘われるように, ムカデはもがき始めた. どこにそんな力が残っていたのかはわからない. しかし,ムカデはもがきながら, 光に向かって進んでいった. その歩みはゆっくりであるが,着実に前進している. そして,ついに,ムカデの姿はその光の中に溶け込んでいった.

 ムカデは石垣の隙間から外に出たのだ. そこは光に包まれた森. 彼の出現などおかまいなしに虫たちが飛び交っていた.


【解説】

 このお話は, 私が高校生のときに作ったものです. 時期としては,「リンゴと芋虫」を作る前だったと思います. 少々暗いお話のような感じもしますが, それなりに何かを表現していると思います. それは何でしょうか?

 つまり,「ムカデが足をあげる」ということは何を表わしているのでしょうか? また,どうして,ムカデは最後に石垣の隙間から出てきたのでしょうか? その答えを考えてみてください.

根上生也 1999/1/14

●おわり● [1999/1/14]
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