惑星ダーウィン

根上生也 著


 あの忌々しい事故から7日が過ぎた. 機体への損傷は大したことはないし, 推進力も十分に確保できるのだが, 航路検索システムに障害が出ている. おかげで,宇宙空間で迷子になってしまったわけだ. 幸い,いろいろな星域で経験を積んでいる 人型ロボットのアイザックがいてくれるのが頼もしい.

 と言いたいところだが, あの事故の衝撃で,彼も頭を打ったらしく, 問題解決システムの反応が遅いように思われる. 視認できる星の配置に基づいて,現在位置を割り出そうとしているのだが, なかなか正解に到達しない. 精巧にプログラムされた問題解決システムを利用しているというよりも, アイザックの勘に頼って, コースを選択しているだけのような気さえする.

 まあ,それもよかろう. 私とて,どの方角に地球があるのか,見当もつかない. 頼れるのはアイザックだけだ. 実際,彼の存在が私を気丈にしてくれているのは事実である.

 しかし,妻の精神状態が心配である. 機械仕掛けの人格と心を交わす術を知らない彼女には, この宇宙船内に閉じ込められていることは苦痛に違いない. おまけに,どこに向かって飛んでいるのかさえわからない状態では, 妻でなくても,不安を感じずにはいられないだろう. だましだましここまで来たが,もうそろそろ限界だ. どこか,適当な惑星に着陸して,休息を取らせてあげたい.

 そんな心配を抱きながら, 前方スクリーンに映る宇宙空間を見つめていると, アイザックが騒ぎ出した.

 「ok,ok! ダン.いい星を見つけましたよ. ほら,あそこの青い星.その星で休憩しましょう.」

 「え.どこの星だ.」

 「まあ,まあ慌てないで.今,そいつを拡大表示しますから.」

 アイザックの動作がどこかぎこちない. 拡大表示のボタンを押すだけなら指一本で十分だろうに, 首を左右に振り,次にうなずき,1回電子音をさせてから, 人差し指を突き立てた.

 「ほら,これですよ.きれいな色ですね. 詳しいデータはまだ分析中ですが, 私の視認では,十分に生命が生存可能だと思いますよ. この色調だと,かなり地球に近い環境だと思いますね.」

 「それはありがたい.そこで休憩だ. データの分析を急いでくれ.」

 「はいはい.急ぎたいのはやまやまですが,と,これこれ….」

 やはりアイザックには無駄な動きが多い.

 「やっほー! 私が思ったとおり,大気の組成といい,重力,表面温度といい, まさに地球そのものです.」

 「よし.」

 私は喜び勇んで,妻の部屋に走った.

 「カレン.地球と同じ環境の星を発見したよ.そこで休憩だ.」

 私は遠くでぼやいているアイザックの最後の言葉には 耳を貸さなかった.

 「うーん,でも何かが違う気がするのですがねぇ. それは何だろうか.」


 私たちの宇宙船はその惑星の大気圏に突入した. 確かに,宇宙船から見える光景は,地球の大気圏突入のシーンと 寸分変わらない. そして,私たちの眼下には森林地帯が広がった. 幸い,宇宙船の推進装置は完璧に生きているので, 強引に不時着する必要はない. 適当な場所を探して,軟着陸することにしよう.

 ここからは自動操縦である. 宇宙船はしだいに速度を落とし,着陸用の5脚の足を伸ばした. 巨大な卵形の宇宙船が森林地帯に着陸する様は, 大きなダチョウの卵を鷲掴みにして,巣に戻している光景を思わせる. そして,宇宙船は,都合よくぽっかりと茂みが途切れた場所を見つて, そこに着陸した.

 着陸の振動にバランスを崩し,アイザックが尻餅をついたが, それ以外は何の問題もないようだ.

 「ちょっと待ってくださいね. 今,大気の組成を調べますから.ぎ,ぎ.」

 「頼むよ.」

 やはりアイザックは無意味に首を動かしながら,分析作業をしていた. そして,アイザックがその分析結果を口にする前に, 宇宙船のドアが開いた.

 「おいおい.大丈夫か?」

 「ok,ok.ノー・プロブレムですよ. 見事に地球の大気の組成と一致します. パーフェクトです.」

 すると,それまで沈黙していたカレンが口を開いた.

 「完全に一致するということは, この星が地球だという可能性はないの?」

 「なるほど.でも,残念ですが,奥さん. この星は地球ではありません. 他の惑星の配置が太陽系のそれとは違っていましたから.」

 「そう.」

 カレンは残念そうだった.

 「でも,心配することはないよ,カレン. ここでしばらく新鮮な空気を吸って,リラックスしようじゃないか. それで,宇宙船の航路検索システムを調整して,再出発だ. それさえ直れば,何も問題はない. 地球を目指すのなんて,おちゃのこさいさいさ.」

 「そうですよ.奥さん. この惑星にしばらく滞在して,星の運行を観測すれば, 私たちの位置を特定するのなんて,簡単なことです.」

 「本当?」

 「本当ですとも.ロボットは嘘をつきません.ぎ,ぎ.」

 「最後の『ぎ,ぎ』ってのが気になるな. 故障したロボットも嘘をつかないのか?」

 「もー.」

 金属製のアイザックの顔は膨れたりはしないが, 彼の口調がカレンに膨れっ面を想像させたのだろう. 彼女の顔に笑顔が戻ってくれた. よし,よし.

 私たちは,宇宙船のタラップを降りた. なるほど.空気がうまい. 地球の空気と変わらない. 正確には,地球の環境保護地区の一部の空気と変わらないと言うべきだが.

 「今日は,探索はやめておこう.空気を吸うまでだ.」

 「了解.私には空気は必要ありませんから, 天体観測の準備をしています. ゆっくりとおくつろぎください.」

 アイザックは宇宙船の周囲を見回しただけで, すぐに宇宙船の中に戻っていった. 私とカレンはその惑星の土を踏みしめた. 久しぶりの大地だ. しかし,遠出はやめておこう. この森林は地球のジャングルを思わせるものだが, 不思議と動物の気配を感じない. だからといって, 動物の存在を否定することはできないだろう. 地球とは別の惑星である以上, どんな危険が待ち構えているかはわかったものではない. カレンを危険な目にさらして, 再び不安な状態に陥らせてはいけない.

 私たちは宇宙船の周囲だけをうろついて, 自然の酸素を満喫した. 森林の下層部はすぐに日が陰ってしまう. 早々に船内に退散しよう.

  その日の夜,夕食を済ませ,展望室でくつろいだ. 窓から見渡す星空は, 昨日までと違って,めまぐるしくは変化しない. この惑星の自転に応じて,天球の星の位置は変化しているのだろうが, 私たちには静止しているように見える.

 すると,カレンが何かを感じた.

 「あなた.」

 「どんしたんだい.」

 「何かいるは.」

 「どこに?」

 「何かはわからないけど,何かいる….」

 私は腰のフェーザー・ガンに手を置き,振り向いた. 頭上でアイザックが鼻歌を歌いながら天体観測をしているのがわかる. それ以外には船内に何かがいる気配はなかった.

 「中じゃないわ.」

 「え?」

 「宇宙船の中じゃなくて,ほら.」

 カレンは窓を指差した. そこには,1匹のカエルが貼り付いていた.

 「カエルじゃないか.」

 カエルの右手が持ち上がり,再び別の場所に貼り付いた. ペチョ. そして,喉をならし,体に比してやけに大きな目が瞬きをする.

 「この星にはカエルがいるんだ.カエルなら,驚くことはないじゃないか.」

 「ええ.そうね.でも….」

 「でも?」

 「どうして,こんなところにいるの?」

 「どうしてって?」

 「だって,どうして,このカエルは,こんな高いところにまで登ってきたのかしら.」

 そういえば,そうだった. このカエルにとって,私たちの宇宙船はさぞかし珍しいだろう. かといって,全長およそ50メートルの宇宙船の先端付近にある展望室まで, 何の目的で登ってきたのだろうか?

 ペチョ.

 私たちは,そのカエルの行動をつぶさに観察するために, 窓ガラスに近づいた.

 ペチョ,ペチョ.

 「確かに,地球にいるカエルとよく似ているなあ.」

 「そうね.」

 ペチョ,ペチョ,ペチョ.ゲコ.

 私たちの視線に気づいたのか, カエルの動きが活発になった. 窓ガラス越しではカエルの手足がガラスに貼り付く音は聞こえないが, そのカエルの動きがそれを連想させる.

 ペチョ,ペチョ,ペチョ,ペチョ.

 そして,次の瞬間,カレンが悲鳴を上げた.

 「キャー!」

 「どうしたんだ.」

 カレンは言葉を失い,窓ガラスの下の方を指差した. そこには大量のカエルが貼り付いていた. 頭上のカエルにばかり気をとらえていたので気づかなかったが, 無数のカエルが宇宙船を這い上がり,しだいに,窓ガラスを埋め尽くしていく. いったいどういうことなんだ. なぜ,カエルが私たちの宇宙船に這い上がってきたのだ.

 「落ち着くんだ,カレン. カエルごときに,この窓ガラスが破れないよ.」

 「それはわかっているわ.でも….」

 もちろん,この状況は素直に受け入れられるものではなかった.

 「ここで待っていなさい.なんとかするから.」

 私は操縦室に駆け上がった. そして,操作パネルに手を伸ばし,船体保護システムのボタンを探した.

 「これだ.」

 私が赤いボタンを叩くやいなや,宇宙船の表面を電撃が走った. それと同時にアイザックが奇声を上げた.

 「きぇー!」

 その電撃によって,船体に貼り付いていたカエルたちは一掃された. もう窓ガラスを埋め尽くしていたカエルはいない.

 「もう大丈夫だよ,カレン.」

 「ええ.でも,あんなにたくさんのカエルたちがいるなんて, 安心して外には出られないわね.」

 「そうだね.でも船内にいるかぎり安全さ.」

 そのとき,アイザックが展望室に降りてきた.

 「どうしたんです.いきなり電撃システムを作動させるなんて. 作動させる前に言ってください.」

 「すまない.すまない.」

 「昔の雇い主に,気に入らないことがあると, すぐ私に電撃棒を突っ込む奴がいて, それ以来,ああいう電撃は私のトラウマになってしまったんです.」

 「申し訳ない.観測を続けてくれ.」

 「はいはい.了解.」

 「今夜はこれで休ませてもらうよ.」


 翌朝,宇宙船の外の光景を見るのが恐ろしかった. 昨夜のカエルたちの死骸が宇宙船周囲にばらまかれているにちがいないからだ. そう恐る恐る宇宙船のドアを開くと,驚いたことに, 無数にあるはずのカエルの死骸が見当たらない. ということは,あの電撃ではカエルたちは死ななかったということなのか?  そうだとすると,なんとしぶとい奴等なのだろう. このことはカレンには知らせない方がよいだろう.

 すると,1匹の小さな4つ足の動物が宇宙船の傍らを走り去った. その口にはカエルがくわえられていた.

 「そういうことか.」

 カエルの死骸は,小動物たちに食料として持ち去られてしまったのだ. それなら問題はない. 再びカエルに包囲されることがあれば, 電撃をお見舞いしてやればよいのだ.

 そこにカレンが顔を出した. カエルの死骸が皆無であることには気づいていないようだ.

 「ちょっとその辺を探索してくるよ. 宇宙船の中で待っていなさい.」

 「はい.そうするわ.」

 カレンは船内に引っ込んだ. 私は,フェーザー・ガンを手に,茂みへと踏み込んでいった.

 そこは見渡すかぎり,森林地帯が続いているようだった. いわゆる獣道やなぎ倒された木が見当たらないところをみると, この辺りを巨大な動物が闊歩することはなさそうだ. おそらく,カエルやさっき目撃した程度の小動物しか 生息していないのだろう.

 いずれにせよ,今日のところは, 宇宙船からあまり離れず, すぐにでも引き返せる範囲だけを探索することにしよう. そう心に決めて,さらに茂みに踏み込もうとした瞬間, 宇宙船の方からカレンの悲鳴が聞こえてきた.

 「どうしたんだ!」

 私は大急ぎで宇宙船に向かった. タラップをあがり,船内に入ると, そこにはアイザックが転がっていた.

 「アイザック,どうしたんだ?」

 「はい.ネズミが進入したんです.」

 「ネズミ?」

 「はい.正確には,ネズミに似た動物が進入したんです.」

 「それでカレンはどうした!」

 「奥さんはキッチン・ルームの方にいます.助けてあげてください.」

 私はキッチン・ルームに向かった. カレンは時折悲鳴を上げている. そして,突然,キッチン・ルームから飛び出したきた. 続いて,それを追いかけるように1匹のネズミが現れ,奇声を上げた. ネズミはカレンに飛び掛かろうと助走している. 私はその攻撃を阻止すべく, カレンとネズミの間に飛び込んだ. そして,ジャンプするネズミをフェーザー・ガンで仕留めた.

 すると,次の瞬間,アイザックが叫んだ.

 「大変だ! ネズミの大群が入っていくる.」

 「ドアを閉めろ!」

 外を見ると, 10匹程度のネズミがタラップを登り,ドアめがけて突進してくるではないか. アイザックはバランスを崩したまま,もたもたしている. しかたなく,私がドアに駈け寄り,ドアの開閉ボタンを叩いた. ドアは直ちに閉まったが, 2匹のネズミがドアをすり抜けて船内に進入してしまった. 他のネズミはドアに激突し,タラップから転げ落ちた.

 船内に浸入したネズミは私とアイザックに攻撃を仕掛ける. カレンは船内上部につながる梯子にぶら下がり, なんとか難を逃れていた. 私に飛び掛かってきたネズミはあっさりと私のフェーザー・ガンの餌食になった. アイザックを攻撃するネズミは,アイザックの足に噛み付いている. もちろん,金属製の彼の足に歯が立つわけがない. 振り上げたアイザックの足からすっぽ抜けて, ネズミは壁に激突した. その瞬間を狙って,私はフェーザー・ガンでそのネズミを仕留めた.

 「カレン.もう大丈夫だよ.」

 船外のネズミたちは,もうそこにはいなかった. 私は3匹のネズミの死骸を足で集め, ドアまで寄せていった. そして,ドアを開け,その死骸を蹴り出した.

 「なんて攻撃的なネズミだったんだ.」

 「あのネズミたちは私たちを狙っていたわ.」

 「確かに,そんな気もするけれど.でも,どうして?」

 「もちろん,ネズミの気持ちなどわからないわ.」

 その後は何も起きずに,1日が過ぎた.


 翌朝,妙な音とともに眼を覚ました. それほど大きな音ではないが, 何かが宇宙船のドアに何度も体当たりしているようだ. 私はフェーザー・ガンを手に,ドアの覗き窓を覗き込んだ. しかし,そこには何も見えない. そこで,船外カメラのスイッチを入れた. すると,モニターには小さなネコのような動物が写っていた. 正確にはネコではないのかもしれないが, ここではネコと呼ぶことにしよう. そのネコは船外カメラの音に気づいたらしく, カメラを見上げて,可愛い鳴き声を上げた.

 そこに,カレンが眠い眼をこすりながら現れた.

 「まあ,可愛いネコちゃん.」

 「あの物音の正体は,このネコちゃんだったようだ.」

 「きっと中に入りたいのよ.入れてあげましょう.」

 「確かに,可愛いね.でも,中に入れて大丈夫だろうか?」

 「大丈夫よ.きっと.」

 私はカレンに笑顔が戻っているのを見て安堵した. このネコがカレンの心を癒してくれるのだなら,大歓迎だ. しかし,念のため,私がみんなの前に立ち, ドアの開閉ボタンを押した.

 ドアが開くと,そのネコはそろりそろりと船内に入ってきた. カレンは屈み込んで,ネコを手招きをする. それに応じて,ネコはカレンの懐に収まった.

 「いい子,いい子.よく来たわね.」

 そうカレンがネコに声を掛けるやいなや, ネコは豹変し,カレンの手首に爪を立てて, カレンの懐から飛び出していった. 私はフェーザー・ガンを握りしめたが, カレンに無言で制止された.

 「地球のネコの気変わりは有名よね. このくらいでめげてちゃ,ネコとは仲良くなれないわ.」

 「わかった,わかった.そのとおりだ.」

 「そうよ.こちらが攻撃的になっちゃだめよ.」

 「はいはい.」

 カレンは再びネコを手招きした. すると,ネコは可愛い声を発しながら,カレンに近づいてきた. しかし,次の瞬間,私は首筋に何かの爪の攻撃を受けた. カレンとネコの光景を注視していたために, 別の2匹のネコが船内に進入していたのに気づかなかったのだ. 私に攻撃を仕掛けたネコは,身軽に方向転換をして, 私の右腕をめがけて飛び掛かってきた. その攻撃にバランスを失い,私はフェーザー・ガンを放り投げてしまった. ファーザー・ガンは,第三のネコの攻撃を受けて転倒していた アイザックの足元に転がっていった.

 「アイザック! そのフェーザー・ガンを使うんだ.」

 「はい.でも,私は攻撃用にはできていないので, こういった代物の扱いは得意ではないのですが.」

 「つべこべ言うな! そのフェーザー・ガンは登録されている人間には 攻撃できないようになっているんだ. とっとと,カレンのところのネコにフェーザーをお見舞いしてやれ!」

 「は,はい.」

 アイザックは,フェーザー・ガンの安全システムを理解したらしく, カレンめがけてフェーザーを乱射した. そして,最初のネコが仕留められた.

 「よし.今度はそっちだ!」

 「はい,はい.」

 アイザックは他のネコの動きに合わせて, さらにフェーザー・ガンの乱射を続けた. しかし,身軽なネコたちを仕留めることはできなかった. が,幸い,ネコたちは攻撃を諦め,撤退を決めたようだった. そして,2匹のネコは,一目散にドアへと走っていった.

 「もういい.アイザック,やめろ.」

 「了解.」

 私はカレンの傍らに転がるネコの残骸を拾い上げた. 他のネコたちは,すでにジャングルの中に姿を消している. 私は,ネコの死骸を外に放り出し, ドアを閉鎖した.

 泣きじゃくるカレン.

 「この星は,何かが変よ.どうして動物たちは私たちを攻撃するの?」

 「この星の動物たちはよそ者の進入を歓迎してくれていないようだね.」

 「きっとそうよ.だったら早くこの星から出ていきましょう.」

 「そうだね.そうしよう.」

 私はアイザックに問いただした.

 「アイザック.あと何日でシステムは復旧するんだ?」

 「はい.航路検索システムはすでに復旧しています. でも,それを稼動させて地球へ帰るためのコースを検索するためには, この惑星の位置を特定する必要があるんです.」

 「それで?」

 「あと2日,天体の運行を観測すれば,惑星の位置を確定できると思います.」

 「あと2日か.」

 「はい.」

 「カレン.あと2日.あと2日だけ辛抱しておくれ. そうすれば,地球めざして帰れるんだよ.」

 「わかったわ.あと2日ね.あと2日だけ我慢すればいいのね.」

 「そうだよ.あと2日,宇宙船の中にこもっていればいい. 何があってもドアを開けなければいいんだ.」


 翌日,再び,何かが船体にぶつかる音とともに目覚めることになった. その音がする壁面の窓から外を眺めると, そこには1匹のサルがいた. それはチンパンジーのようなサルだった. そのサルが宇宙船めがけて石を投げつけているのだ.

 そこで,私は,航路上の障害物を破壊するためのレーザー砲を使うことを考えた. あまり大きなエネルギーを照射してしまうと, 山火事を起こしていまうかもしれない. そんなことにならないように,注入するエネルギーは最小にしておこう. それでもサルを脅すには十分だろう. カレンもサルを殺さないのならと,私の意見に同意した.

 私は,サルのすぐ側に生えている木に照準を合わせて,引き金を引いた. ピー・ボア! 木はその中腹で折れ,サルの方に倒れ掛かっていった. サルは驚き,森の中への逃げ去っていった.

 その日はその後,何も起こらなかった.


 そして,翌朝,アイザックの奇声に眼を覚ました.

 「やっほーい!」

 「どうしたんだ,アイザック.」

 「やりましたよ.データがすべて揃いました.それでこの惑星が特定できたんです.」

 「おー.それはよかった.」

 「実はですね.この惑星は未知のものではなくて, すでにデータ登録済みのものだったんです.」

 そこにカレンがやってきた.

 「やったわね.これで地球に帰れるのね.」

 「そうだよ,カレン.」

 未知の星域に迷い込んでいたものと思っていたが, 人に知られた惑星となれば,心強い.

 「それで,この星の名前は何と言うんだい.」

 「その名前は『惑星ダーウィン』です.」

 「ダーウィン? あの進化論のダーウィンかしら.」

 「そうだと思いますよ.」

 「でも,どうしてダーウィンなのかしら?」

 「そこまではわかりません.でも,ちょっと困ったことがわかりました.」

 「困ったこと?」

 「はい.この惑星には滞在期限が決められているんです.」

 「滞在期限?」

 「はい.3日を越える滞在が許可されていないんです.」

 「えー.私たちはすでに4日過ごしてしまったわ.」

 「その期限を越えて滞在してしまうとどうなるんだろう?」

 「残念ですが,ここからはアクセスできるデータだけだと, そこまではわかりません.」

 「私たちは罪に問われるのかしら?」

 「しかし,何も悪いことはしていないぞ.」

 「そうよね.」

 これでこの惑星を脱出する準備はできたものの, 新たな不安材料が持ち上がってきた. 私たちはこれからどうなるのだろうか?

 そうこうしているうちに, カレンが外で何かの音がしているのに気がついた. また,動物の攻撃なのだろうかと全員で窓を覗くと, そこには2人の人間が立っていた. しかも,彼らは警察の制服を着ている.

 「この惑星に人間がいたんだ.」

 「登録済みの惑星だから,誰かがいても不思議ではないですよ.」

 「でも,警察の人たちみたいね.滞在期限を越えたことを咎めに来たのかしら.」

 どうやら警官たちはドアを開けろと言っているようだ. 何があってもドアは開けないとカレンに誓ったが, 相手が警官ならば問題ないだろう. 私たちは階下に降りて,警官たちを迎え入れることにした.

 ドアが開くなり,警官の1人が口を開いた.

 「突然で恐縮ですが,貴兄を連行いたします.」

 「連行?」

 彼らは私の問いには何も答えず,私の両腕を抱えて,私を宇宙船から連れ出した. タラップを降りたところに,白いパトロールカーと思われる乗り物が2台, トビラを開けて待っている. そして,私はその1台の中に放り込まれた.

 「ちょっと待ってくれ.これはいったいどういう事なんだ?  説明してくれよ.」

 「説明は本官の任務ではありません. 裁判所で詳しい説明があると思いますが.」

 「家内はどうなるんだ!」

 「奥様は別途,病院へ保護しますので,ご心配なく.」

 「じゃ,ロボットのアイザックは?」

 「携帯品として同行していただいても結構です.」

 彼らは私がアイザックの処遇を決定するなり, 出発しようとしているようだ. 私と同行するもよし. しかし,病院に保護されるとはいっても, カレンを独りにするのは心配だ.

 「アイザックは家内に同行させてくれ.」

 1人の警官が「わかりました」と言うなり, パトカーのトビラが閉められた. そのパトカーには窓らしきものがまったくなかった. 前方のスクリーンも, コンピュータが表示する抽象的な図形や数字が並んでいるだけで, 私が外の様子を判断できるものは何も映っていなかった.

 私はこの急展開をどう受け止めれるべきなのか?  説明は任務のうちではないと宣言した彼らに, 何を聞いても無駄だろう. 私の脳裏には,同じ窓のないパトカーに乗せられて 不安に感じているカレンの姿が見え隠れする. カレンはこの事態をどう受け止めているのか?  アイザックはカレンを気遣って, 気の利いた言葉を掛けられるのだろうか?  答えのない問いが頭を駆け抜ける.

 「つきましたよ.裁判長がお待ちです.」

 そのパトカーは音もなく停止した. 慣性力もあまり感じなかったので, パトカーが停止した事実が納得できなかった. そういえば,出発のときも,同じだったかもしらない. 気が動転していたので, パトカーの発進を気に留めていなかった. 思い返せば,パトカーは知らぬ間に発進していたような気がする.

 えーい. どうとでもなれ. 私は覚悟を決めて,パトカーを降りた. そこは暗闇だった. 辺りの景色はなく, 目の前のエレベータの入り口だけが明るく輝いている. そのエレベータに乗れと指示されていることは, 声に出して言われるまでもない.

 2人の警官とともにエレベータに乗り込む. 果たして,上昇したのか,降下したのかはわからないが, 数秒のうちに,エレベータは停止して,ドアが開いた.

 そこは,今までとは違って,明るいフロアーだった. 指示に従い,ある部屋に入ると, そこは簡易の裁判所といった感じのところだった. 前方の小高い机には裁判長と思しき人間が座っている. ゆったりとしたローブをはおり, フードを深くかぶっている. そのため,彼の顔はわからないが, 口だけが見える.

 私が前に歩み寄ると,そのローブの男が言った.

 「こんな格好で申し訳ありません. 訳あって,あなたに私の姿を見せるわけにはいかないのです. さあ,そこに座ってください.私が裁判長です.」

 「私がいったいどんな悪いことをしたというんです. 滞在期限を1日越えたからって,どれほどの罪なんですか!」

 「まあ,まあ,落ち着いて.滞在期限の超過など問題ではありません. それはあなたたちの世界が決めたルールでしょう. この惑星の住人にはどうでもよいことです.」

 「それなら,私が何をしたというんですか?」

 ローブの男の口元が微笑んだ.

 「殺人です.」

 「えー! 殺人! 私は1人も人間なんか殺していない.」

 「それはわかっていますよ.確かにあなたは人間は殺してはいない. しかし,あなたはこの惑星の住人を殺したのです.」

 「この惑星の住人?」

 「そうです.住人と言っても人間ではありません.」

 「人間でないとすると,それは何なのですか?」

 「カエルです.」

 「カエルだって.カエルがこの星の住人なのですか?」

 「はい,それだけではない.ネズミもネコも殺したでしょう.」

 「そんなぁ.確かにこの惑星に着陸してからの数日, カエルもネズミもネコも殺しましたよ. でも,それが罪になるのですか?」

 「はい.彼らもこの惑星の住人ですから.」

 「でも,初めに襲ってきたのは,向こうの方だ.」

 「いいえ.初めに殺害を行ったのは,あなたです. あなたが初めにカエルを1匹殺したのがすべての始まりだったのです.」

 「え? 1匹のカエル? 私は電撃によってかなり大量のカエルを….」

 「大量の? なるほど.では,ここで証人に登場してもらいましょう. 証人の方,こちらへ.」

 いったい,どこに証人がいるというのだ. 呼べるものなら呼んでみるがいい. そう憤りながら,証人台を見ても,そこには証人の姿はなかった. と思うなり,証人台の上に,1匹のサルが飛び乗った. そして,裁判長に向かって,何かを必死に訴えている.

 「キ,キキキ,キキキー.キッキキキィー.」

 私にはこのサルが何を言っているのかわからないが, 裁判長にはそれがわかるようだ.

 「こちらの方は, 自分の先祖のカエルがあなたの宇宙船に潰されたのだと訴えています.」

 「先祖のカエル?」

 「そうです.その事実は,当方の係員がすでに確認しています. そのカエルはあなたの宇宙船の足の1本に踏み潰されていました.」

 「そんなぁ.それは不可抗力だ.」

 「それはそうでしょう. いずれにせよ,そのカエルが宇宙船に踏み潰されて以来, こちらの一家の復讐劇が始まったのだそうです.」

 「復讐劇?」

 「カエルの一群も,あなたが殺害したネズミもネコも, そして,こちらのサルも,すべてそのカエルの子孫なのだそうです.」

 「そんなことって…」

 「あなたが理解できないのも当然でしょう. この惑星のことをあまりご存知ないのですからね.」

 「惑星ダーウィンでしょう.初めて聞く名前ですが.」

 「惑星ダーウィンね.なるほど. しかし,それもあなたたちの世界が決めた名前だ. まあ,それはどうでもよろしい. あなたが理解すべきことは,この惑星ではあなたたちの常識を超えたスピードで 生命の進化が起こるということです.」

 「???」

 「つまり,カエルの子供はカエルではないんです. 両生類のカエルがすぐに進化して,哺乳類になってしまうことなど, この惑星では,日常茶飯事なのですよ.」

 「!!!」

 「おまけに,生命の成長や誕生のスピードも極めて早い. だから,4日もあれば,カエルが世代交代をして, サルにまで進化してしまうのです.」

 「そんなことが信じられるわけがない.」

 「あなたが信じるか信じないかは問題ではない. でも,この事実はあなたたちの世界でも確認されていることなのですよ. あなたも言っていたように, この惑星の滞在期限は3日間なのでしょう. それ以上この惑星に滞在してしまうと, あなたたち人間も次のものに進化してしまう可能性が急激に高まる. だから,この惑星での3日を越えた滞在が禁止されているのですよ.」

 「なるほど.」

 そう口では言ったものの,何が納得できるというのだ. こんなばかげたことがあってよいのか.

 「なるほどと言いたいところだが,私にどうしろというんですか?」

 「そうですね.あの方の先祖を殺してしまったことは, 確かに不可抗力と認定しましょう. それはあの方もわかってくれるでしょう. 問題は誠意ですね. この復讐劇に終止符を打つために, あの方に,この場で謝罪していただけますかな.」

 「あのサルにですか?  人間がサルに謝るだって.」

 「そうです.それでこの件は一件落着です.」

 裁判長はサルの方を見つめて, 何やらつぶやいているようだった. しかし,その声は聞こえない. それに答えて,サルが私にはわからない言葉で騒いでいる.

 「キッキキッキー.」

 「あの方もそれで遺恨を残さないと言っています. 謝罪していただけますか?」

 なぜ,人間の私がサルに頭を下げなければならないのだ. こんな理不尽があってよいのか.

 「あなたの世界では,自分よりも下等な生き物に頭を下げたりはしないでしょう. しかし,この惑星ではそういう考え方は通用しませんよ. 自分の家族と言えども,同じ種とは限らないのですからね.」

 私は返す言葉がなかった. そして,裁判長の言葉が続いた.

 「あなたがどう思おうとも, あなたたちもすでにこの惑星で4日間過ごしてしまいました. つまり,あなたのご家族はこの惑星のルールに従って生きてしまったのです. ご承知だとは思いますが, あなたの奥様は妊娠していますね. 普通の環境なら,お子さんが誕生するのはまだまだ先のことでしょう. しかし,惑星ダーウィンでは生命の成長が早い. 数日後には,お子さんの顔を見ることができるでしょう. そのとき,あなたはどんな気持ちで,お子さんを迎え入れるのでしょうかね.」

 私は息を飲んだ. この惑星で誕生する我が子. それは果たして人間なのか?  人間でないとすると, それは何なのか?  人間より進化した存在. そんな我が子は,下等な父親に対して何を言うのだろうか?

 「あなたが今のままの考えているかぎり, 私が裁くまでもなく,あなたは,あなたのお子さんに裁かれることになるでしょう.」

 私は声が出せなかった. しかたなく,私は証人台へと歩み寄り, そこに乗っているサルの手を取り,頭を下げた.

 「それで結構です.」

 裁判長は立ち上がり,かぶっていたフードを取った.


根上生也 1999/1/15

●おわり● [1999/1/15]
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