アトムの時代が遠ざかる!
横浜国立大学教育人間科学部 根上生也

 新しい指導要領が実施されるのが2002年,韓国と日本で共同開催されるワールドカップの年である。そして,翌年の2003年には,あの「アトム」が誕生する。はたして,マンガの神様・手塚治虫氏が描いた未来社会に,本当の日本社会は近づくことができたのだろうか。

 私をはじめとする,40代の人たちは,子供の頃にテレビで「鉄腕アトム」を見て育った。ロボットと人間が共存する世界で,アトムと子供たちが繰り広げるドラマに一喜一憂していた。きっと,誰もが,21世紀になれば,ああいう世界になるんだと思っていたにちがいない。そして,21世紀の子供たちを育てるための指導要領が告示された。その指導要領は,アトムとの共存を可能にしてくれるのだろうか?

 もちろん,ロボットと人間が一緒に学校に行って勉強をすることを期待しているわけではない。しかし,「ロボット」で象徴される科学技術やテクノロジーと共存する学校をイメージしたい。今回の指導要領はそれに応えてくれるのだろうか?

 そもそも,今回の指導要領改定のポイントは,いかに「学校完全週五日制」に対応するかである。そのために,各教科の授業数が激減した。さらに,「総合的な学習の時間」が授業数は圧迫する。おまけに,「二次方程式など生きるためには必要ない」という貧しい精神性に基づく誰かの発言を根拠に,数学のレベル・ダウンが余儀なくされた。

 要するに,新たな教育理念に基づいて,教科内容の厳選作業が行われたわけではない。厳選すること自体が目的となって,何を削減しようかと思案した結果生れたのが今回の指導要領だ。

 例えば,中学校の数学からは,「立体の切断」と「図形の移動」がなくなった。「立体の切断」は難しいからという理由で,「図形の移動」は指導するまでもないという理由で,削除されたようである。

 確かに,立体図形を指導するのは難しい。しかし,それはあくまで黒板とノートとしかない時代の話だ。コンピュータ・グラフィックスによって立体の断面図や展開図などが簡単に操作できるようになり,これで立体図形が思うように指導できるぞという矢先に,カット!

 図形の移動についても同様である。紙と鉛筆だけでは,図形を動的に理解することは難しい。マウスを手にしてパソコンと対面すれば,図形の動的な変化をインタラクティブに体験できる。やっとそういう時代になったというのに,なぜその指導を放棄しなければならないのか!

 実は,私は,こういうテクノロジーを駆使した図形の指導が,多くの生徒たちにとって定着が難しいとされている論証指導を補完してくれると考えている。その真偽はここでは議論しないが,その指導を実現するために,私の研究室ではいろいろなソフトウェアの開発を行ってきた。すでにご存知の方もいると思うが,「立体図形学習支援汎用ソフトウェア・virtual solid」がその一例である。多くの先生方にそれを入手していただき,実践を行っていただいている。そういう積み上げがすべて御破算になってしまうのだろうか?

 また,カブリ・ジオメトリのような図形を動的に変化させられるソフトウェアの普及に尽力している人たちもいる。動く図形は,静的な図形と論証による理解を越えて,生徒たちに定理の普遍性を教えてくれるだろう。それもすべて水泡と帰すのだろうか?

 しかし,指導要領にある・ないに関わらず,こういうコンピュータのソフトウェアを利用した教育に懐疑的な人たちも多い。彼らは,そういうソフトウェアを開発した人たちの思いに気づかず,機械を使うことは非人間的な行為だと決め付けている。それはロボットを差別する21世紀の大人たちと同じだ。私たちはそういう独善的な大人たちに苦しめられるアトムの姿を見て涙していた。そして,偏見に満ちた感情を身に付けるよりも,理性に司られた「科学の子」になろうと決意したのである。

 そう決意した科学の子は大人となって,「科学技術庁長官・お茶の水博士」となった。博士は科学的な精神によって世界に秩序を与える仕事に従事し,人々のロボットに対する偏見や差別をなくすべく努力を続けている。その博士の心を思い起こせば,この世紀末にふさわしいハルマゲドン的な指導要領にも,わずかな救いを見出すことができる。それは「総合的な学習の時間」である。

 「総合的な学習の時間」では,国際理解,情報,環境,福祉・健康などを教科横断的に扱うことになっている。単純に「情報=コンピュータ」と捉えてしまえば,上で述べたようなソフトウェアを使った指導をこの時間枠の中で行うこともできるだろう。しかし,それよりも,数学やその精神を排したところで世界を語ることの貧しさを説いてほしい。

 数学を遂行していく上で重要なことは,主義・主張をぶつけ合い,二者択一的な論争に奔走するよりも,理性を優先し問題解決を図ろうとする態度である。数学の時間に数式の計算に専念するのはしかたがないだろう。しかし,総合的な学習の時間には,他の教科の先生では代替不可能な数学の先生の精神性を見せ付けてほしい!数学のことしか語れないと思われていた数学の先生が,いろいろなことを語りだせば,世の中はかなり変わる。そこに21世紀の数学教育の活路を見出すべし。

 そして,「科学の子・アトム」との再会を夢見よう。チョークの手を止めて振り向くと,そこにはあなたを見つめる学生服のアトムがいる…。


『数学教育』 4月号に寄稿

●おわり● [1999/1/5]

negami@edhs.ynu.ac.jp