第三の理/第7話
問題設定

 その後,話の続きをする間もなく, ドイモイ君は急にベトナムに帰国してしまった. 彼の指導教官の先生の話によると, 母国に重大な心配事ができたのだそうだ. 教員研修留学生の期間を満了する以前に, そんな帰国が許されるのだろうか? 逆に,その制度を無視してまで帰国しなければならない重大なことが 問題になっていると考えることもできる. その先生もあまり プライベートなことを聞いては失礼だと判断し, それ以上つっこんだことは聞かなかったそうだ.

 いずれにせよ, ハノイの塔にまつわる謎が残されてしまった. 物の理と人の理. そして,第三の理とは何なのか? 私たちの知らない東洋の精神世界の話のような気もする.

 数学に青春を捧げ, その他のことはあまり勉強してこなかった私にとって, そんな精神世界のことなどもはや対処不可能である. となれば,再び,数学者の立場に戻って, ハノイの塔の問題を考えてみようではないか.

 そんな想いを胸に, コーヒーを片手に計算用紙入れ箱から 1 枚紙を抜き取り, 書類や本の隙間に紛れ込んでいる鉛筆を探していると, 所用でしばらく実家に帰っていた中本君が姿を現した.

  「あ,中本.」

  「先生,ご無沙汰してます. 例の件はなんとかなりましたので….」

  「そう.それはよかったね.」

 中本君は,修士課程まで私の研究室に所属し, 私と同じ位相幾何学的グラフ理論 を勉強していた. 私が書いたある論文を真似して考えてみなさいと与えた問題が 私が想像していた以上に奥が深く,彼を数学の虜にすることになった. その結果,かなりよい修士論文を書き, 博士課程のある慶應義塾大学に進学し, 昨年,学位を取得したのだった.

 数学者にとって,よい問題との出会いが重要である. 中本君に私が与えた 「閉曲面上の四角形分割の対角変形」 というテーマは, まさに彼にとってそのような問題となった. そのおかげで,彼は大量の論文を書き, 自他ともに認める一人前の数学者へと成長した. そして,学術振興会 から月々いくらかかのお金をもらって 3 年間自由に研究をしてよい権利を得ている.

 その学術振興会の特別研究員の採用通知が届いた日に 祝杯をあげようと, 「三七栄」 (“みなえ”と読む) という近くの居酒屋で飲んでいたときの ことを今でもよく覚えている. そのとき,酒の肴に,数学者と問題との出会いについて語り合った. すると,彼は,

  「ぼくにとっては, 問題との出会いよりも,先生との出会いの方が重要でした.」

 と彼が言った. ふだん感情的な起伏の乏しい私であったが, その言葉を涙ながらに聞いていたことを今でも忘れない. 教育者として,そして数学者として,これほどに嬉しい言葉は 他にはないだろう.

 現在,私は,彼の受け入れ研究機関の指導教官として, 再び彼を指導する機会を得た. とはいえ,指導するというのは形ばかりである. すでに立派に数学者として成長した彼に, いちいち指示を与える必要はない.

  「先生,何を探しているのですか?」

  「見ればわかるだろ.鉛筆だよ.」

  「この缶の中に,たくさんシャーペンが入っているじゃないですか.」

  「それはわかっているけれど,どれも芯が入っていないんだ. みんなシャーペンの芯がなくなると, そのシャーペンを使わなくなってしまうんだから…. 全然,シャーペンの意味がない.」

 ぼやいている私を横目に, 中本君はしょっていた青いリュックをソファーの上に降ろし, 中から筆入れを取り出した.

  「先生.これを使ってください. また,何か問題を考えているんですか?」

 彼は筆入れから自分のシャープペンシルを取り出し,私に手渡した.

  「あ,ありがとう.実は,その問題というのはね….」

 私は中本君に彼の留守中に起こったハノイの塔にまつわる一連の事件を説明した.

  「へー. 64 段のハノイの塔ですか.」

  「ハノイにそんな塔があるかどうかは怪しいけれどね. でも,壊れたハノイの塔を修復する問題は, 数学的にもおもしろくアレンジできそうなんだ.」

 私は机の上にある関数電卓を手にした. 私の机の上は書類の山と化しており, 私以外の人間には何がどこにあるか見当もつかない状態である. 幸い関数電卓は私にとって定位置にあったので, 迷うことなく手にすることができたのだった.

  「確か,君が 4 年生のときに, ゼミでハノイの塔のことをやったことがあったよね.」

  「はい.先生がぼくたちが見ている前でみるみるプログラムを作って, ハノイの塔の答えをコンピュータの画面に出力させたのを よーく覚えていますよ.」

  「だったら, 64 段のハノイの塔の答えが何手掛かるか知っているだろう.」

  「はい.確か 264 回です. いや, 264-1 回だったかな?」

  「どちらでも大差ないよ. 264 という値に比べたら, ±1 なんて誤差のうちだろう.」

  「そうですね.」

  「そもそも, 264 がどれくらいの数なのか,電卓で計算してみよう.」

 手元の電卓を叩くと,次のような答えが出た.

1.84467440737E+19
それを見るかぎり, 264 の大きさが実感できるものではない. それならば, 伝説のハノイの坊さんたちがやっているように, 1 日に 1 手動かすとして, 何年掛かるのか計算してみよう. 閏年など気にしないで, 1 年を 365 日として計算すると,
5.05390248595E+16
となり,依然として現実感のない数である. そこで, 1 秒に 1 手動かすものとすると,
264 ÷ 365 ÷ 24 ÷ 60 ÷ 60 = 584942417355
となる. さらに,コンピュータ上で仮想的に操作するとして, 1 手を 1/100 秒と見積って,さらに 100 で割ると,
5849424173.55
となる.

  「 58 億年!」

  「うーむ.地球が誕生してから 46 億年と言われているから, それよりも時間が掛かるのか. まあ,宇宙の年齢よりは短いようだけどね.」

  「でも,先生. 58 億年というのは,コンピュータを使っての話でしょう.」

  「それはそうだけど….」

 すでに 2n の恐ろしさには触れたが, こういう表現をとってみると,確かに空恐ろしい. 264 は 10 進法で 20 桁の数である. たったの 20 個の数字を並べるだけで表現できるが, その値まで数えるとなると, とんでもなく時間が掛かってしまうのである. 途轍もなく大きな数を表現することと, それを数えることを混同しないように.

  「まあ,話を簡単にするために, 地球の誕生の当初から 1 手 1/100 秒で動かしているとして, 46 億年経った今,何者かがそのハノイの塔を倒してしまった. それを元の状態に修復せよというのが, ハノイ氏の問題と考えてよいのではないか.」

  「ですね. 46 億年目のハノイの塔の状態がどうなっているのかを 示せという問題ですね.」

  「そのとおり. もちろん,もう一度初めからやり直して, 46 億年掛ければ,その状態が作れるわけだけれど, そんなに時間を掛けたくないわけだよ.」

 話は大げさになっているが, 要するに,ハノイの塔の何手目の状態がどうなっているのかを 短時間で示せる方法を発見せよというのが問題である. n 段のハノイの塔があるとして, m 手目の状態を n と m から特定する計算方法,もしくは アルゴリズムを見つけたい.

 これで,ハノイ氏の問題は数学的な体裁を整えたことになる. こうなれば,ドイモイ君が話してくれた精神世界の話に意識をかき乱されることなく, 数学者としての能力を駆使して,問題解決に専念できる.

  「この問題が論文ネタ になるかどうかは怪しいけれど, 考えてみる価値はあるんじゃないか. 少なくとも,私が日頃から言っている“構造の理解”の重要性を 示すよい題材にはなりそうだよね.」

 そう言い終わるか終わらないうちに, 電話のベルがなった. そのベルのなり方は内線電話であることを示している. きっと面倒が迷い込んでくる電話にちがいない. そう思いつつ受話器を取ると, 案の定,事務長補佐からの電話だった.

  「学部長がお呼びです.できましたら,学部長室にお越しください.」

 これを数学的に解釈すると, 「できない」のならば学部長室に出頭する義務はない. しかし,私とて, そういう数学的な論理が日本社会では通用しないことを きちんと心得ている.

 残念だが,この問題を考えるのはお預けになった. 中本君も電子メールをチェックしに行くといって,研究室を出ていった. 私もせっかく手に入れた紙とシャープペンシルを持って, 学部長室に出向くことにした. 問題を解くどころか,それらが学部長の言葉をメモする道具になろうとは….


つづく

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negami@edhs.ynu.ac.jp [1998/6/26]